まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

仏教とヨーガの共通点

シャルマ先生はいつも「違い」よりも「共通点」で語ること心がけているようで、仏教とヨーガの共通点についてもぽつりと話されたことがありました。 いずれも belief ではなく、way of life たった一行なのに、響きます。 この話は「宗教って、何ですか? 主…

ビンゴでギーター 2章32節

この節は関東で1名、関西で1名のかたが選定されました。選択理由をお聞きすると、お二人ともクリシュナ強い鼓舞のメッセージに少し違和感を感じつつの選択でした。理由は、それぞれ以下のようなコメントでした。 関東でこの節を選んだかたの、訳とコメントは…

ビンゴでギーター 12章5節

この12章5節は東京で2名のかたが選定されました。顕現(vyakta)と非顕現(avyakta)について説いている節です。 だが、非顕現なものに専念した人々の労苦はより多大である。というのは、非顕現な帰結は、肉体を有する人々によっては到達され難いから。(上…

ライチをはじめて食べたときのこと

バガヴァッド・ギーターに出てくる smrti(記憶)に karma-indriya(行為器官)、jnana-indriya(知覚器官)と直接経験、推論を組み合わせた事例として、こんな話をしました。以下、口語調で書きます。 わたしはインドの書物にある記憶や五感・知覚・経験に…

きゃりーぱみゅぱみゅ

バガヴァッド・ギーターやヨーガ・スートラに出てくる smrti という「記憶」に関する話題のなかで、こんな話をしました。 「かわいい」にもいろんなかわいいがあります。ピンクや赤のようなものや、まぁるいもの、ラブリィ、プリティ、ちっちゃなタイニィ… …

さまざまな Law of nature

「ダルマ」が主題の講義のときに、シャルマ先生がさらっと雑談しながらリストした「自然法則」の例は、いかにもインド。 ガンガー(ガンジス川)には汚いものも流れてる。バラナシへ行ったら全てが合流して、もうぐちゃぐちゃだよね。それがダルマ。 わたし…

マインドレスのマシーン状態

カパーラ・バーティの説明でシャルマ先生が話していたことのメモに、こんなフレーズがありました。 mindlessの、マシーンのようなやりかたでは影響が少ない。 影響というのは、この呼吸法はカパーラがバーティする。頭蓋骨がピカーッと輝く。クリヤ。浄化。 …

行為と知識。感じているときがチャンス

シャルマ先生の講義ノートに、こんなメモがあり、ここは見るたびに「!」となります。 knowledge - feeling - action | chance action は knowledge を兼ねるけど、その逆はない。100のことは同時に起こる。 「言うのは簡単」というだけでなく「知ってる、と…

男は九つの門、女は十の門。ヨーガは長らく、男性たちのものだった

ヨーガでは感覚を統制することを教えるので、わたしはアーサナのクラスでもたまに、感官=門の説明をします。 ヨーガでは肉体を「九つの門のある城」のように表現します。門というのは、感覚の発生するきっかけを作る穴。眼×2、耳×2、鼻×2、口、尿道、お尻の…

呼吸が変わると心が変わる

インドで毎朝プラーナーヤーマの実践、午後に理論や哲学を教わっていたときのこと。午後の哲学の授業の時間に、シャルマ先生による 「プラナヤマの練習で大切なことはなに?」「What is yoga, what is not yoga?」 という問いかけからクラスが始まったことが…

夏目漱石の小説をインド哲学講座の題材にしている理由

2015年の夏の関西開催で、夏目漱石作品をもともといくつか読んでいて初参加をされたかたから「なんで夏目漱石なんですか?」というシンプルな質問をいただきました。 そこで作成したテキストに補足を加え、主な理由をいくつか紹介します。 二元論を超えよう…

1分の静寂。コントロールとクリーニング

わたしのヨガクラスでもよくやる「1分間サイレンス」の話。インドで授業のはじまり、合間に、先生が Silence と言ったら、すぐ1分間の静寂をつくり、黙想する。すべての先生がやっていたわけではないのですが、わたしが哲学を教わったシャルマ先生は毎回やっ…

エネルギーを与える前提で、背骨を立てて座る

座り方の説明を受けたときのこと。 「体の根っこから喉までのエリアがだいじ。このエリアを大きく使えるように、背骨を立てる」 という話の後に、シャルマ先生がなにげなく、こんなことを話されました。わたしは、これがいまだに心に残っています。 まっすぐ…

ビンゴでギーター 12章12節

この節は東京で2名のかたが選定されました。この節は、以下の修行のステップやありかたを示す説ですが、選定された方々の選定理由はまったく違う視点ものでした。 santih(静寂) ↑ karma-phala-tyagah(行為の結果の捨離) ↑ dhyana(瞑想) ↑ jnana(知識…

食事の前に歌うバガヴァッド・ギーター「15章14節」と「消化」のこと

座学で途中におやつタイムを入れる際に唱えている歌は、バガヴァッド・ギーター第15章14節です。 私は一切人火(ヴァイシュヴァーラナ)となって、生類の身体に宿り、プラーナ気とアパーナ気に結びつき、四種の食物を消化する。(上村勝彦 訳) 歌は、わたし…

そこに「編纂」はあっても「預言」はないヨーガ・スートラ

わたしがインドで受けた哲学の授業は、 初日に インド哲学は「心と体は離れていない」というのがベースだよ パタンジャリって、「ヨーガ・スートラの人」「プレイヤー(祈祷師)の人」「文法家の人」、有名な人が3人いるよ ヨーガ・スートラは何度読んでも発…

サーンキヤ・カーリカー インデックス (Samkhya Karka Index 01~73)

イーシュヴァラクリシュナによる70節と、ほか3節、合計73節のインデックスです。 どの節も常に巡回・更新を行っている、翻訳演習ノートのようなものです。 学びが深まったり間違いに気づいたらガラリと更新していますので、見た日の時点の内容と思って読んで…

(参考)「Matharavritti」にある第73節

「バラモンの精神界 インド六派哲学の教典」訳・解説 湯田豊には、他の書「Matharavritti」から見出される第73節の訳があるのでここに引用紹介します。 それゆえ、完結に考察されたこの教典は内容を欠いていない。そして、それは広大な教典という鏡に反射さ…

「シャシュティ・タントラ」から逸話をカットし、議論を避けた書き方になっている

サーンキヤ・カーリカー 第72節・その注釈で述べられていること 実に、ここまでの70節で述べられたことは「シャシュティ・タントラ(sastitantra)」全体の要旨でもあります。「サーンキャ・カーリカー」では逸話をカットし、議論も避けています。 <「サー…

イーシュヴァラクリシュナが簡潔なアーリヤー調の詩節にした

サーンキヤ・カーリカー 第71節・その注釈で述べられていること 弟子たちを通じて伝えられたこの教えは、教義をよく理解し、高貴な心をもつイーシュヴァラクリシュナによって簡潔なアーリヤー調の詩節にまとめられました。 <「サーンキャ・カーリカー」内で…

聖者からアースリへ、アースリからパンチャシカへ伝えられた

サーンキヤ・カーリカー 第70節・その注釈で述べられていること この聖なる最高の教えを、聖者は親愛の思いでアースリに与えました。アースリも、それをパンチャシカに与えました。彼(パンチャシカ)によって、その教義はつまびらかにされました。 <「サー…

存続と生と死について考え伝えられた、秘められた知識

サーンキヤ・カーリカー 第69節・その注釈で述べられていること このプルシャの目的である知識は秘められ、聖仙から伝えられました。それは存続と生と死(維持と発生と崩壊)について熟考され、構成されたものです。 <「サーンキャ・カーリカー」内でのこの…

肉体から離れて独存へ

サーンキヤ・カーリカー 第68節・その注釈で述べられていること 肉体から離れ、目的が達成されると根本原質は活動をやめ、たしかで、かつ終わりのない「独存」に達します。 <「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>よく「独存」や「解脱」と訳される kai…

完全な知識を得ても、過去の勢いで肉体は続く

サーンキヤ・カーリカー 第67節・その注釈で述べられていること 完全な知識を得ることで、功徳などのダルマが作用の原因としてはたらくことはなくなります。ろくろが粘土を取り去っても過去の勢いで回転し続けるように、身体は保有し続けます。 <「サーンキ…

プルシャは見ただけ。プラクリティは見られただけ。ただそれだけ

サーンキヤ・カーリカー 第66節・その注釈で述べられていること 一方は「わたしは見た」と思って無関心になり、もう一方は「わたしは見られた」と思って活動をやめます。両者が結びついたとしても、創造の必要性は存在しません。 <「サーンキャ・カーリカー…

停止したプラクリティを、プルシャは観客のように眺める

サーンキヤ・カーリカー 第65節・その注釈で述べられていること それにより、生み出すことをやめ、目的による7つの様体をとらなくなる (そうなった)プラクリティを、プルシャは観客のように落ち着いてくつろいで眺めます。 <「サーンキャ・カーリカー」内…

原理を習得すると知識が生まれてくる

サーンキヤ・カーリカー 第64節・その注釈で述べられていること このように、原理を練習によって習得することで「わたしは~ではない」「~はわたしのものではない」「~の存在はわたしではない」という、あますところのない、間違った認識のない、純粋でま…

プラクリティは様体を使って解脱する

サーンキヤ・カーリカー 第63節・その注釈で述べられていること プラクリティは7つの様体を使って、自分で自分を束縛します。プラクリティ自身がプルシャのために、ひとつの様体を使って解脱をさせます。 <「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>ではプ…

プルシャではなくプラクリティが束縛・解脱・輪廻をする

サーンキヤ・カーリカー 第62節・その注釈で述べられていること それゆえに、いかなるもの(プルシャ)も、束縛されることも、解放されることも、輪廻することもありません。さまざまなものを拠り所とするプラクリティが、束縛・解放・輪廻をしているのです…

プラクリティほど優美なものはない

サーンキヤ・カーリカー 第61節・その注釈で述べられていること 「プラクリティほど優美なものは、ほかには存在しない」というのがわたしの意見です。観る者に向けて活動したあと、再びプルシャに見られようとはしません。 <「サーンキャ・カーリカー」内で…