まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

ビンゴでギーター 15章5節

この節は関西、関東でビンゴしました。慢心、迷妄、執着、欲望、苦楽。溺れてはいけない要項がテンコ盛りの、戒めのような節です。選定されたかたは二人とも上村先生の訳を読んでいました。選んだきっかけとして、こんな理由をお話してくれました。

  • 「仕事の休みがとれない」とか、仕事に対して思うことが日々あるなか、この節を読んで、自分は「仕事をしていること」や「お金を得ること」「仕事の世界で上にあがっていくこと」に執着しているのかと思った。(東京・Mさん)
  • 30歳くらいのときに恋愛をしていた相手が「金、女、パチンコ」というような、そういうのが好きな人だった。いい面と悪い面あげていくと、悪い面が多い。それについて責めると、相手はうるうるっとした目をし、わたしは母性本能をくすぐられる感じになり、「本人は悪いとは思っていない」ということに気づいていながら別れられなかった。この状況について模索していたときに、その人に対して「この人の相手をしていると、助けているような気になる。助けることで、自分が上に立ったような気になる」結局執着だ……と思った。それまで、モノに対しての執着はあったけれど、人に対してもこういう形であるものなのか、と気づいた。(ここから回想モードを抜けて現在⇒)こういうことをしていると自分にとってよくないと思い、克服していったこと思い出しました。でも気持ちが弱くなると、また人に執着したくなります。このようなことを経て、今に至っております。(神戸・Yさん)


仕事、人、モノ、金、土地、思想etc……、執着の対象はさまざま。同じ節を読んでも、MさんとYさんでは想起することは全く別のこと。訳者による差があまりでない節ではありますが、「つねにアートマンに心を住まわせておく」という本題の記述部分を読み落とさないようにしましょう。

この節は「adhyatma」自己に関すること、という言葉がでてきます。adhiは接頭後で「~に関して」なのですが、日本語での「自分」とはまったく指す先が違います。
これは15章なので、ここまで読むと「固体としての自分に関すること」ではなく、「神の一部である自己に関すること」が理解しやすくなってきますが、atmaに関する表現に慣れていくことが、インド思想に慣れていくことでもあります。

さまざまな先生の訳を見てみましょう。


まずは、MさんとYさんが読んでいた上村先生の訳から。

慢心と迷妄がなく、執着の害を克服し、常に自己(アートマン)に関することに専念し、欲望から離れ、苦楽という相対から解放され、迷わない人々は、かの不滅の境地に達する。

上村勝彦 訳

 アートマンへの専心と二元論を超えること。ギーターの大きな主題をふたつ含みつつの、スマートな訳。ここからまったく別のことを想起する人がいる。教材として、とてもよい訳です。

 

高慢と迷妄を去り、邪悪なるべき執着を降伏し、つねに最高の自己に住して、欲愛うせ、苦楽と名付くる対立より解き放たれし人びとは惑うことなく、かの不易なる楽園に赴く。

鎧淳 訳

 自分自身との「たたかい」のニュアンスを土台に敷くことで、戦いを経て楽園へ、というストーリー性があります。訳のひとつのありかたとして、注目すべき訳です。

 

倣慢なく、迷妄なく、執着の欠陥を克服し、常に最高我に専念し、欲望を去り、苦楽と呼ばるる相対より解放され、迷乱せざる者は、かの不滅の境地(解脱)に達す。

辻直四郎 訳

 シンプルな羅列のため、もっともサンスクリット語の直訳に近いです。

 

虚妄の名声を求めず妄想を払い除けた人
執着心を克服し 欲を無くした人
苦楽の二元性を超越して真我(アートマン)に安住する人
このような人々は至上神に順(したが)うことを知って永遠の楽土に入る

田中嫺玉 訳
日本ヴェーダーンタ協会版もほぼ同じ訳)

 辻先生と対極にある、感じやすさを重視した訳。「順う」と書いて「したがう」と読ませる妙味がたまりません。

 

タマスから発生する自己の迷妄は、ひとつの自然現象。これと戦うには、ときには拠りどころもほしい。15章5節は、ギーターが果たす聖典としての役割のわかりやすい節です。

 

 

(参考補記)

以下は jitasangadosa の箇所に「誤った交際」という要素を入れているのが他の訳にはないニュアンスなので、sangaの部分の解釈が他の訳者とは違うのかもしれません。参考までに記載しておきます。

偽の名声を求めず、幻想や誤った交際を捨て、永遠性を理解し物欲を持たず、苦楽の二元性を超越し、惑わされることもなく、そして至上主に服従する術を知る者は主の永遠の王国に達する。
バクティヴェーダンタ文庫版)

 

Those who are free from false prestige, illusion and false association, who understand the eternal, who are done with material lust, who are freed from the dualities of happiness and distress, and who, unbewildered, know how to surrender unto the Supreme Person attain to that eternal kingdom.
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