まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

ビンゴでギーター 4章22節

この4章22節は東京で4名のかたが選定されました。

迷うことから解放されることについて説かれる節ですが、出だしのフレーズでいきなり心を掴まれる。どの訳にもそれぞれ味わいがあり、日本語のニュアンスの奥行きを知ることになる節でもあります。

選定者のみなさんの理由は、このようなコメントでした。

  • 上村先生の訳の「たまたま得たもの」というところに「たまたま?!」と思い、気になったので英語版でも読んでみたのですが、英語では「without effort」となっており、それだと響かない。うちの長男は「たまたまでいいや」という雰囲気なのですが(中学生の時点で悟ったようなお子さまだそうです)、「たまたまで満足かぁ」とあらためて思いました。(東京・Kさん)
  • 田中燗玉さんの訳の「無理なく入ってくるもの」というのを読んで、自分に合わないものを求めても無駄。うまくいかないわけじゃないけど、無理なく入ってきたもののほうが楽しくいけるんじゃないかと思って。(東京・Rさん)
  • わたしはヴェーダーンタ協会版の訳で読んだのですが(「自然に入ってくるもの」という訳)、いまあれこれ比べて悩んでいることがあって、よりよい結果はのためには、どれがいちばんよいかと考えてしまっていて、自分の義務ってなんだろう、いちばんいい道ってなんだろう、あっちがいいかも、こっちがいいかも……と、外にばかり目がいって苦しんでいます。「こっちを選んで失敗するかも」という気持ちも、「ああそうか、わたしのチッタが騒いでいるだけなのかも」と思いました。(東京・Nさん)
  •  ここ数年で弔事など、そういう関連イベントが立て続けにあり、無くなって初めて得ていたものに気づくことが何度かありました。「たまたま得たもの(人間関係)」が、自分の意志とは関係なく得ていたもの(与えられていたもの)と、はじめてそういうふうに思えたことがあって、この節を選びました。(東京・Wさん)

この節の最重要ポイントは「成功と不成功を平等に見る」という二元超越にあるのですが、出だしのフレーズにこんなにも反応が集まるのは、日本の社会背景も深く関係していると思います。この節を4つに細かく分けてみたとき、ひとつめのフレーズ以外は他の節でもよく出てくるメッセージです。

 

 

具体的な悩みに刺さる人の多いこの節を、いろいろな訳で読んでみましょう。 

たまたま得たものに満足し、相対的なものを超え、妬み(不満)を離れ、成功と不成功を平等(同一)に見る人は、行為をしても束縛されない。

上村勝彦 訳

上村先生にしてはめずらしく出だしの訳し方が情緒的で、不思議なインパクトがあります。原語に近いニュアンスでは「自然に獲得した物」。この出だし以降はギーターの特大テーマのひとつ「二元相対の超越と不動心」を説いています。

 

 

別の訳も見てみましょう。

無理なく入ってくるもので満足し

我・他・彼・此(あ・れ・こ・れ)比較して悩み羨むことなく

成功にも失敗にも心を動かさぬ者は

どんな仕事をしていても束縛されない

田中嫺玉 訳

最後のところを「行為」ではなく「仕事」と訳されています。元の文は「やるけれども、影響されないよ」という意味の語でしか語られておらず、karmaという語は登場していません。ここは定められた仕事=無理なく入ってきた仕事という意味合いで連動しており、ここに深いヒントがあります。

インドは生まれながらに定められた仕事(=カースト)のある国。アルジュナにとっては、戦うこと(=武士)が「無理なく入ってきたものなのだ」という意味になります。

 

 

次の訳は田中嫺玉さんの訳と後半はほぼ同じですが、出だしが違います。先に理由をあげてくれたNさんは、この訳を読まれていました。

自然に手に入るもので満足し、我他彼此(あれこれ)を比べて悩み羨むことなく、成功にも失敗にも心動かされぬ人は、どんな仕事をしていても束縛されることはない。(日本ヴェーダーンタ協会版

たしかにこの訳を読むと、「比べて悩み羨む」の部分がひっかかりますね。

Nさんはお仕事のことで悩んでいたようですが、現在の日本は仕事が選べるだけでなく、働き方も選べる時代です。頑張って免許を取れば、来年にはわたしもトラックを運転する仕事ができるかもしれない。そういう社会の中で、「たくさんありすぎて悩む」というのは、ギーターの時代に指していたであろうと思われる「それはやりたくない」という状況とはあまりにも範囲の大きさが違います。いろいろ選択肢がありすぎる世の中で、この節の「たまたま」「無理なく」「自然に」というフレーズがズシンと響く。それだけ「決断する」という行為はむずかしいのです。

そして、それがなぜむずかしいかというと、二元相対(いい悪い、成功する失敗する)という判断の束縛の中にいるからだと説かれます。ここでは「siddhav(成功)」「asiddhav(不成功)」が使われており、「karma(行為)」「akarma(行為しない=怠惰)」と同じようにaがつくとnotになる語です。「成功するかしないか」と訳すほうが正しいのかもしれません。

 

 

英文だと、どうなるでしょうか。

He who is satisfied with gain which comes of its own accord, who is free from duality and does not envy, who is steady in both success and failure, is never entangled, although performing actions.

http://vedabase.net/bg/

Kさんの手持ちの英語版では「without effort」だったそうですが、このバクティヴェーダーンタ英語版だと「which comes of its own accord」となっており、「自発的に、自然に、ひとりでに」というニュアンスです。 もしわたしが農家の人だったら、その畑で育ちやすいものを育てるということを想起するだろうと思います。やはりこの部分がひっかかるのは、「選べる」「変えられると考える」状況が生み出す悩みのように感じられます。

さらにおもしろいのは、「entangled」という部分。これは「もつれる」「からまる」という意味です。慣れないことをすると、自分で仕掛けた罠を忘れていて自分でコケちゃうような、そういうことってたしかにありますね。

 

 

話を少し戻しますが、比べて悩むのは何を比べているかというと、「結果」です。でも、結果についてはやってみなければわからない。

このときわたしはNさんに「わかりっこない結果の result を比べるのではなく、その手前の effect  を比べたら?」と提案してみました。もしこの行動を起こしたら、「自分にどんな影響があるだろう」と考えるのです。「周囲の人にどんな影響があるだろう」ではなく。

絶対に成功したいのか、成功しないといやなのか、どうせなら成功したいのか、失敗したくないのか、できれば失敗を避けたいのか、絶対に失敗したくないのか。「絶対に成功したい」というところまで追い込まれないと終わらない悩みならなおさら、早い段階で「自分への影響」のシミュレーションを始めたほうが成長できそうです。

途中経過はしんどいのですが、悩みごとは具体化して自分主体に切り換えていくことで、少し前に進めることがあります。たぶんこの作業を「リアライゼーション」というのだと思います。

 

 

社会生活が多様化し物資も豊かになり、たくさんの仕事の選択肢がある世の中では、「たまたま」のご縁がひとつでないこともあります。

カーストで職業が決められていないわたしたちに必要なのは、「ほんとうに自然な縁」を見抜く力のようです。そして、「ほんとう」も「自然」も、まずは自分に向き合わないと見えてこない。カーストがあろうがなかろうが、そこだけは確固たる共通点のようです。