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まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

ビンゴでギーター 6章5節

この節は関西と関東でビンゴしました。前半は向上心を強く後押しし、後半は自分を振り返ることを促す節です。

選定者の理由は、このようなコメントでした。

  • 友人が理不尽なかたちで仕事をやめなければならなくなり、今後どうするか悩んでいるとき、「クリシュナさんは、こんなこと言ってるのにな」と思ったことがありました。思い返すと、自分にも昔そういうこと(葛藤)があったかもしれない。でもそのときはわからなかった。いま友人を見ていると「もっと目の前のことをやればいいのに」「引っかかってることが見えてないな」と感じる。(京都・Yさん)
  • いままさに、自分で起こしたラジャス(から湧き起こる感情)に自分でとらわれているから。自分自身と仲良くできていないと思う。怒りの感情が自分を傷つけて、自分の敵になっている。いろいろな固定観念もあって、それにあてはまらないと無駄な怒りを起こして、それに地団太を踏むということをしている。自分だけを見ていられれば、もっと自分の心と友達になれるのに。(東京・Tさん)

 

Yさんは「見えていない状態」を少し離れた立場になることで指摘できる状態に気づき、Tさんは「自己と友達になりたい」という意識に向かっています。6章は「瞑想のヨーガ」といわれる章で、まさにこのお二人のコメントが、瞑想の修行そのもののよう。

 

このほかにも、京都で多くの人がうなずいていたのが、「お客さんに言われたクレームがずっと心に残って、なかなか自分の中の火がおさまらない」という経験。わたしも仕事でクレームを受ける経験からさまざまなことを考えたことがあるのですが、人に批判をされた後に「自己こそ自己の友」と思えるような思考にもっていくのはなかなか大変です。

いろいろな訳で読んでみましょう。 

自ら自己を高めるべきである。自己を沈めてはならぬ。

実に自己こそ自己の友である。自己こそ自己の敵である。

上村勝彦 訳

「沈める」という表現が印象的です。

 

 

心によって自己(個我)を向上させるべきであり、自己をおとさしめてはならない。

心こそ自己の友であり、また心こそ自己の敵であるから。

宇野惇 訳

 「おとさしめないように」となると、自己管理の主体性が増します。

 

 

人は自分の心で自分を向上させ 決して下落させてはならない

心は自分にとっての友であり また同時に仇敵でもあるのだ

田中嫺玉 訳

 「心」の使い方に、より「人格」が感じられ、神に近づくための道を示すことばであることが伝わりやすいです。

 

 

人は心によって魂を向上させ、決して下落させてはいけない。

心は制約された魂にとっての友であり、また同時に敵でもあるのだ。

バクティヴェーダンタ文庫版)

 「制約された魂にとっての友」の「制約」はコントロールできているという、よい意味です。次の英語版が参考になります。

 

 

One must deliver himself with the help of his mind, and not degrade himself. The mind is the friend of the conditioned soul, and his enemy as well.

http://vedabase.net/bg/

 「conditioned soul」です。

 

 

自己こそ自己の敵、というのはインドの古典でよく出てくる、解脱をめざす教義の定番フレーズ。この節には訳に「心」「魂」「自己」という日本語がそれぞれに充てられていますが、サンスクリットではすべて

 

 atma

 

で語られています。「心によって自己(個我)を向上」のところは atmanaatmanam。どちらもアートマンです。

自己責任もここまでくると、とことんです。「自己責任」は日本語だと少しつき放したような冷たいイメージがありますが、人間の語る自己責任と、神(ここではクリシュナ)の説く自己責任はすこし構造が違う。ここを理解できないと「何が正しいのか。なにが真実か」といつまでも誰かに問い続けなければいけません。

「バガヴァッド・ギーター」はこれをアルジュナ君がわたしたちのかわりに、とことんやってくれる。そういう書物です。他の宗教の聖典とはひと味ちがうおもしろさがあります。