まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

直接経験・知覚のブレイクダウン2 知覚を超える認識

サーンキヤ・カーリカー 第6節・その注釈で述べられていること

共通に見られているものからの推論によって、知覚器官による知覚を超えたものが認められます。
それでも知覚されようのないものは、信頼に値する教えによって確立されます。

 

<「サーンキヤ・カーリカー」内でのこの節>

第4節第5節同様、第3節の「正しい知識」について掘り下げています。

 

<日本語化の意図メモ>

この節は特にありません。

 

<用語メモ>

共通に、一般に(samanyata)
見られた、認識された(drstad)
知覚器官・感覚器官を超えたもの(atindriya)
超えた+知覚器官(ati+indriya)
推論によって(anumanat)
それゆえ、したがって、そのため(tasmad)
確立した(された)、認められた(siddham)
感覚を超えたもの、知覚されようのないもの、知覚され得ないもの(paroksam)
信頼できる、当てになる、尊敬される(apta)
聖典、教義、セオリー、発行されたもの(agama)
信頼に値する教え(aptagama)

 

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