まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

結果は原因と同じ性質を持っている

サーンキヤ・カーリカー 第9節・その注釈で述べられていること

実体のないところからは、なにも実行されません。結果のためには、それに見合う物質的原因が選ばれます。すべてのなかに、なにかが存在することはありません。

能力のあるものが、実行可能なものをつくります。原因が存在することが、結果の存在でもあります。

 

<「サーンキヤ・カーリカー」内でのこの節>

インド哲学のなかのひとつの論説として有名な「因中有果論」「開展説」と呼ばれるものです。結果のあらわれには、プラクリティが潜在的に存在しているということを述べています。

 

<日本語化の意図メモ>

「結果」というと日本語ではかっちりしたイメージですが、英訳だとeffectです。日本語は「結果」というと、決定的でもうあとがないような感じ(effectよりもresult)がしますが、影響も含む結果です。

 サーンキャは「プラクリティというもの」を、いったん【自己・Self・プルシャ】と切り離し、展開の主体をプラクリティに移したうえで掘り下げます。ここで主体を潔く明け渡すことで、結果はすでに原因の中にもあったという考え方を進めていくことができます。

 「因中有果論」はいきなり理解しようとするとむずかしいのですが、この「展開の主体の明け渡し」ができるとつかみやすくなります。

 

<用語メモ>

ある、存在する(sat)
存在がない、実体がない、虚構、間違い(asat / a=not)
実行する、遂行する(karana)※このkaranaはカラナー(末尾が伸びる)
実行がない、遂行されない(akarana / a=not)※このkaranaはカラナー(末尾が伸びる)
素材、材料、物質的原因、手段(upadana)
選ぶ、つかむ、理解する、承認する(grahana)
すべて、全体(sarva)
存在(sambhava)
不在(abhavat / a=not)
力、能力、有能(saktasya)
可能性のある、機能する、実行可能な、文字どおりの(sakya)
原因(karana)※このkaranaはカーラナ(先頭が伸びる)
結果、影響(karya)
そこに在る結果(satkarya)
結果がある(sat+karyam)

 

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