まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

「ブッディ」は、「決める」というこころのはたらき

サーンキヤ・カーリカー 第23節・その注釈で述べられていること

「ブッディ」は、「決める」というこころのはたらきをします。

「功徳」「知識」「離欲」「力の使い方をコントロールすること」ができるのは、サットヴァが豊富な状態のあらわれです。

タマスが豊富な状態では、この逆の状態があらわれます。

 

 <「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>

第22節で数のリストアップが済んでいるので、ここから「こころのはたらき」に関わる主要機能の説明に入っていきます。

 

<日本語化の意図メモ>

ここは「buddhi」という機能の説明なので、その単語の示すものを感じていくために、「ブッディ」とカタカナ表記です。過去の訳では以下のような例があります。

【「決める」というこころのはたらき】という表現は冗長ですが、こころのなかを分解して各機能を説明しているところが「サーンキャ・カーリカー」の特徴なので、このようにしました。

 

<用語メモ>

「決める」というこころのはたらき(adhyavasaya)
ブッディ、統覚機能、心、理性(buddhi)
功徳、ダルマ(dharma)
知識(jnana)
離欲、冷静、公平、平静(viraga)
力の使い方をコントロールすること、自在(aisvarya)
サットヴァが豊富(sattvikam)
その形を構成する、その状態を構成する(etadrupam)
その~する(etad)
形づくる、その形であらわれる(rupam)
タマスが豊富(tamasam)
これから、このものから from this (asmad)
反対の、逆の状態(viparyasta,viparyastam)

 

<ヨーガ・スートラ 関連節>
第1章15節に「離欲 / vairagya」の説明があります。
以下ヨーガ・スートラ(中村元 訳)より

YS1-15:離欲(vairagya)とは、経験され、あるいは【ヴェーダ聖典に】啓示された対象に関する欲望を離れた人の、自由の意識(vasikara-samjna)である。

この説明に、中村元先生は「ヴェーダの内容を実質的には否定していることになる」という解説を入れています。「ヴェーダの内容を実質的には否定」という点では、サーンキヤ・カーリカーの第2節も同様です。

 

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