まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

マナス(思考器官)

サーンキヤ・カーリカー 第27節・その注釈で述べられていること

(知覚器官・行為器官の)両方の性質をもっているのがマナスです。なにかを分別したり確定したりします。(知覚器官・行為器官を同様のことを備えているので)器官です。

 

グナの展開・転変(展変)のしかたが一律でなく多様なので、器官のはたらきや外で起こることも多様です。


<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
第26節で「11の数ある一群」のうち10個までしか説明されていなかった、残りのひとつがマナスです。


<日本語化の意図メモ>
マナスは学派によって位置づけが変わる大変興味深い器官ですが、サーンキヤでは知覚器官と並列に「思考器官」として位置づける見かたを提示し、このように説明しています。
元の語は「sankalpaka(samkalpaka)」です。ただ分別するだけでなく「決定」「確定」「意思」のはたらきを含む思考をあらわす言葉です。マナスが「意」と訳されることが多いのも、このためです。快不快、いい悪いと感じていることを頭の中で言語化しただけの「意」ではなく、「ただの feel 」から少し距離をおいた、より think に近い「意」です。
最後の一行は、たいへん自然主義的な考え方をするサーンキヤの思想を象徴するものです。
「グナの展開のしかたや転変のしかた」の箇所は、元の語は「parinama」のひとことです。予想通りに変わることも逆の方向に変化することも含んでの「変化」を指しています。

 

<用語メモ>

両方を自然に持ち合わせている、両方が本質的に存する(ubayatmakam / ubaya+atmaka)
思考器官(manas)
それら、そのとき、この場で(atra)
マナス、マインド(manah)
分別したり確定する思考の原理、決定力のある、決意する行為、審議が可能な(sankalpaka,samkalpala)
器官(indriya)
同じであること、本質が同じであること、同じ信条にある、価値が同じであること、一般的な資産(sadharmya)
グナ(guna)
展開、転変(parinama)
特別な、特殊な、特異な、豊富な、妙な、変わった(visesa)
雑多であること、さまざまであること、多様であること、多様性(nanatvam)
外の、外部の(bahya)
種類、種目、種(bheda)

★サンカルパ(sankalpaka,samkalpala)は英語で
reflecting,purposing,pondering,wishing,determining,well discriminating,deciding などの多くの語が該当します。

 

バガヴァッド・ギーターでは以下の節でサンカルパという言葉が使用されており、上村先生の訳では「意図」、辻先生の訳では「意欲」という語があてられています。
(参考)以下全て上村勝彦訳

【4章19節:BG4-19】
彼の企てがすべて欲望と意図(願望)を離れ、彼の行為が知識の火により焼かれているなら、知者たちは彼を賢者と呼ぶ。

 

【6章2節:BG6-2】
放擲(ほうてき・サンニヤーサ)と言われるもの、それをヨーガと知れ。アルジュナよ。というのは、意図(願望)を放擲しないヨーギンは誰もいないから。

 

【6章4節:BG6-4】
実に、感官の対象と行為とに執着せず、すべての意図を放擲した人は、ヨーガに登った人と言われる。

 

【6章24節&25節:BG6-24】
意図(願望)から生じた一切の欲望を残らず捨て、意(こころ)よにより感官の群をすべて制御し、(24)
堅固に保たれた知性により、意を自己(アートマン)にのみ止めて、次第に静寂に達すべきである。(他の)何ものをも思考すべきではない。(25)

 

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