まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

プルシャではなくプラクリティが束縛・解脱・輪廻をする

サーンキヤ・カーリカー 第62節・その注釈で述べられていること

それゆえに、いかなるもの(プルシャ)も、束縛されることなく、解脱することなく、輪廻することもありません。
さまざまなものを拠り所とするプラクリティが、束縛・解脱・輪廻をしているのです。

 

<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
ここまでの節の流れからいったんこの節で輪廻の主体を結論づけた後、次の第63節で束縛も解脱も輪廻も「はたらき手」がプラクリティであって、それはプルシャのために行われているのだと説明していきます。

 

<日本語化の意図メモ>
この節は特にありません。

 

<用語メモ>
それゆえ、したがって(tasman)
~される、束縛される、従う、窮する、苦しむ(badhyate)
一度もない、二度とない、~も~もどちらもない、nor ever(asau na)
解脱する、解放される(mucyate)
輪廻する(samsarati)
ほかに、ほかに~も、any(kascit)
さまざまな(nana
拠り処、よりどころ(asyaya)
プラクリティ(prakrtih)

 

<バガヴァッド・ギーター 関連節>
諸行為の主体はプラクリティのグナであることについて、以下の節で説かれています。

バガヴァッド・ギーター」上村勝彦 訳 より

【3章27節:BG3-27】
諸行為はすべて、プラクリティ(根本原質)の要素(グナ)によりなされる。我執(自我意識)に惑わされた者は、「私が行為者である」と考える。

 

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