サーンキヤ・カーリカー 第64節・その注釈で述べられていること
このように、原理を練習によって習得することで
「わたしは~ではない」「~はわたしのものではない」「~の存在はわたしではない」という、
あますところのない、間違った認識のない、純粋でまじりけのない知識が生まれてきます。
<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
解脱にいたる段階には実習が必要であることを述べています。サーンキヤとヨーガがセットで扱われる理由がよくわかる節です。
<日本語化の意図メモ>
本題とは少し離れますが、この「純粋でまじりけのない知識」が生まれてくるまでの苦しみをビートルズのジョージ・ハリスンが歌っています。
ジョージ・ハリスンは「バガヴァッド・ギーターの一節を基にしたと語っています。
<用語メモ>
このように、以上のように(evam)
原理の+習得(tattvaa+abhyasa)
実習、練習、習慣、習熟(abhyasa)
わたしは~ではない(na'smi)
~はわたしのものではない(na me)
~の存在はわたしではない(na'ham)
存在(be動詞のようなもの)(ity)
すべてを取り囲む、あますところのない、まんべんなく(aparisesam)
まちがった認識ではない、倒錯のない、誤謬のない(a+viparyayad)
とても純粋な、清浄な(visuddham)
覆いのない、たったひとつの、まじりけのない(kevalam)
生じる、あらわれ、のぼってくる(utpadyate)
知識が(jnanam)
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