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まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

プルシャは見ただけ。プラクリティは見られただけ。ただそれだけ

Samkhya Karika

サーンキヤ・カーリカー 第66節・その注釈で述べられていること

一方は「わたしは見た」と思って無関心になり
他のものは「わたしは見られた」と思って活動をやめます。
両者が結びついたとしても、創造の必要性は存在しません。

 

<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
第65節で述べられた「生み出すことをやめ」の状態の瞬間について詳述しています。
第37節で述べられた識別について、「ただ見ただけ。見られただけ」の状態をシンプルに認識することを別の言いかたで述べているような節です。

 

<日本語化の意図メモ>
「あるもの」はプルシャ、「他のもの」はプラクリティです。


<用語メモ>
一方、もう一方 / あるもの、他のもの(drsta, ekah drsta)
わたしは思う、わたしは見る(manye,aham)
無関心、無視する(upekasa)
存在(be動詞のようなもの)(ity)
やめる、放棄する、棄てる(uparamaty)
他の、無尽蔵の、根気のよい(anya)
そのようにある、そうある、そうなっている、そうだとして(sati
結びつく、結合する、完全な(samyoge)
両者、両方(tayoh)
動機、必要性、野望(prayojanam)
存在しない(na+sti
創造、生殖(avastah)

upekasaという語には気取った、うぬぼれた、見栄っぱりの、などの英語訳もあった。

 

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