まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

肉体から離れて独存へ

サーンキヤ・カーリカー 第68節・その注釈で述べられていること

肉体から離れ、目的が達成されると根本原質は活動をやめ、
たしかで、かつ終わりのない「独存」に達します。


<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
よく「独存」や「解脱」と訳される kaivalya について結論づけています。
インド哲学の各派、仏教各派の教義の違いはここに至る道(ヨーガの場合は方法)が違うだけというかんじで、目指すところにはこの kaivalya という語がよく登場します。


<日本語化の意図メモ>
第67節同様、意図的に人間のbodyのニュアンスを強め「肉体」とした以外は、特にありません。

 

<用語メモ>
作用した、遂行した、得た、達成した(prapta の過去形 prapte)
死、身体から離れる、肉体を離れる(sarirabheda 過去は sarirabhede)
成功の状態、繁栄の状態(caritarthatvat)
功徳、ダルマ(dharma)
原質、根本原質としてのプラクリティ(pradhana)
やめる、鎮める、なくする、帰す(vinivrttau)
たしかな、決定的な、確定的な、完全な(aikantika)
終わらない、永続的な、普遍的な、究極的な(atyantika)
両方の、両者の(ubhaya)
作用する、遂行する、得る(prapta)
分離、孤立、独存、対象への執着からの分離(kaivalya)
達成する、獲得する(apnoti)

 

アーサナ練習の雑学メモ>

ubhaya(両方の、両者の)は、両足を持つ「ウバヤ・パタングシュタ・アーサナ」の "ウバヤ" です。

 

<ヨーガ・スートラ 関連節>
ヨーガ・スートラ第4章34節(中村元 訳)より

YS4-34:「プルシャのため」(purusartha)(という目的)がなくなったもろもろのグナが帰滅すること(pratiprasava)が独存(kaivalya)である。あるいは、精神作用の能力(citi-sakti)が自体のうちに安住すること(svarupa-pratistha)である。

 

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