まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

「シャシュティ・タントラ」から逸話をカットし、議論を避けた書き方になっている

サーンキヤ・カーリカー 第72節・その注釈で述べられていること

実に、ここまでの70節で述べられたことは「シャシュティ・タントラ(sastitantra)」全体の要旨でもあります。
「サーンキャ・カーリカー」では逸話をカットし、議論も避けています。

 

<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
前の第71節とセットで、「サーンキャ・カーリカー」という書の説明をしています。
ヨーガ・スートラも逸話は入っていませんが、他派(おもに仏教)の主張を意識した書かれたかをしています。
ほかの六派哲学や伝承の書とは違う特徴を述べています。
教説の書にはウパニシャッドの逸話を引用したり、神話のような逸話を挿入したりするのがインドの書では定番なので、このような書かれかたをしています。
また、議論を避けずに「○○ということを述べるものもいるが、それは間違いである。なぜなら、○○だ」という調子で書かれるのもインドの書では定番なのですが、「サーンキャ・カーリカー」ではいっさいそれを削ぎ落としています。
これは、ものすごく議論に応じた書きかたの書を読むと対比でわかりやすくなるので、ひとつ参考トピックを添えておきます。

d.hatena.ne.jp

 

<日本語化の意図メモ>
この節は特にありません。

 

<用語メモ>
70(sapta+tyam)
実に、まったく(kila
案件、主題、問題、題目、目的(arthah)
複数の)題目(terthah / te arthah)
すべて、全体(krtsna)
シャシュティ・タントラ(sastitnantrasya)
短い物語、逸話、物語(akhyayika)
切り離す、削ぎ落とす、除く、カットする(virahita)
論争、議論(paravada)
避ける、排除する(vivarjita)

 

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