アーサナを、ビデオを見ながら練習することについて、シャルマ先生がこんな話をしていました。
- ビデオを見ながらやると、経験に限界ができる。
- 自分自身でやれば、経験に限界がない。
やったことのないアーサナは、映像でも学びになるのでは? と、そういう話ではありません。映像を見ながらだと、ドリシュティ(視点)が正しいところに定めにくくなるので、たしかにこれは限界を作ります。
ヨーガでは五感から入ってくる情報を受け手が主体的にコントロールすることを重視します。視覚のコントロールという点では、こういう観点も重要です。
ここで先生が言いたかったことをさらに掘り下げると、重要なのは「経験の限界」の考え方にあります。
シャルマ先生はたまに
everytime new experience
とも言っていました。
日本語で経験と訳してしまうと身体観が薄れてしまいますが、experience は「体験」です。
ヨガの教則DVDには、ストーリーがあります。先生は、この「ストーリーに乗っかること」が限界を作ると、そういうことではないかと思います。
論点は「ひとりで練習するか、だれかに習うか」という話でもありません。「それが experience たりえるか」ということです。練習をはじめるきっかけとプロセスが、主体的であるかどうか。誰かのストーリーではなく、あなたの人生のストーリーの中に練習があるか否か。
なので、DVDで練習をする人でも「これをモノにしてやる!」というとても主体的な動機があれば、かなり経験としては大きな幅を持つものになると思います。
「先生がこれがいいと言ったから、これがいい」
これは善悪の二元論を求めるスタンスで、ヨーガの教えの対極にある考え方です。
「自分自身の意識は、どうなのか」という視点に立てれば、先生を求めることは少なくなっていく。わたしは、そんなふうに考えています。