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まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

経験の領域。視覚と意識

インド授業の小話

アーサナを、ビデオを見ながら練習することについて、シャルマ先生がこんな話をしていました。

 

  • ビデオを見ながらやると、経験に限界ができる。
  • 自分自身でやれば、経験に限界がない。

 

やったことのないアーサナは、映像でも学びになるのでは? と、そういう話ではありません。映像を見ながらだと、ドリシュティ(視点)が正しいところに定めにくくなるので、たしかにこれは限界を作ります。
ヨーガでは五感から入ってくる情報を受け手が主体的にコントロールすることを重視します。視覚のコントロールという点では、こういう観点も重要です。


ここで先生が言いたかったことをさらに掘り下げると、重要なのは「経験の限界」の考え方にあります。
シャルマ先生はたまに

 

 everytime new experience

 

とも言っていました。
日本語で経験と訳してしまうと身体観が薄れてしまいますが、experience は「体験」です。
ヨガの教則DVDには、ストーリーがあります。先生は、この「ストーリーに乗っかること」が限界を作ると、そういうことではないかと思います。
論点は「ひとりで練習するか、だれかに習うか」という話でもありません。「それが experience たりえるか」ということです。練習をはじめるきっかけとプロセスが、主体的であるかどうか。誰かのストーリーではなく、あなたの人生のストーリーの中に練習があるか否か。

なので、DVDで練習をする人でも「これをモノにしてやる!」というとても主体的な動機があれば、かなり経験としては大きな幅を持つものになると思います。

 

「先生がこれがいいと言ったから、これがいい」

 

これは善悪の二元論を求めるスタンスで、ヨーガの教えの対極にある考え方です。
「自分自身の意識は、どうなのか」という視点に立てれば、先生を求めることは少なくなっていく。わたしは、そんなふうに考えています。