インドのリシケシという場所には、たくさんのサドゥーと呼ばれる人がいます。
だいたいはオレンジ色の服を着て、アシュラム周辺やガンジス川の河川敷で生活をしています。
はじめは「こんな生活をする人が実際にいるなんて」とインドのそれらしさに刺激を受けるのだけど、年配のサドゥーにはそれまで思いっきりビジネスマンをこなしてきた人もいて、話してみるとみなさん経緯は色々。
シャルマ先生は、ある日のクラスのオープニング・トークで、こんなふうにサドゥーの話をしていました。
今日は「ストレス」について話しましょう。
文明が進むと、ストレスは増えるでしょうか。
ここリシケシでも、ヨガの先生とそのアシスタントは1キロの距離に居るのに、携帯電話で話しています。
いまのサドゥーは英語もインターネットも使います。
サドゥーのストレスは増えているでしょうか。
昔のサドゥーはストレスを防ぐ方法を探究していました。
生徒がシャラ(道場)の外で目にする現実を、なかったことにせずそのまま題材にする。
話の流れ的にのぞましくない状況を例外として扱うには無理があると感じるとき、「でもこういうの、けっこう見る光景だよね」と水を差したり「いいところばかりを見ようとしている」と批判するのではなく、「それはそれとして、わたしは現実を見ています」という淡々とした態度でのぞむ。
日本ではこの態度は嫌われやすいのですが、シャルマ先生はおもしろく、上手に話していた記憶があります。
先生について思い出すことが多いのは、このような態度です。
わたしは「なかったことにする」という行為にストレスを感じているのに、それすらも自分のなかで「なかったこと」にしようとしていた。
思わぬ流れでストレスについて理解を深めることになりました。