まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

帰属意識と Abhinivesha

夏目漱石「こころ」をヨーガ心理学で読む会』で「帰属意識と Abhinivesha」について話しました。

この講座は読書会形式で、参加者のみなさんが課題図書の中から抜き出したフレーズを元に、ヨーガ哲学の視点で掘り下げていきます。
同じサンスクリット語でも、仏教とヨーガでは定義づけを分解した際にからくりが違っていることがあります。仏教の「執着」という単語は、日本人は漢字が理解できてしまうため、感覚的にわかった気になれてしまいます。フィーリングでわかるのは日本人のアドバンテージでもありますが、「癒やし」ではなく「学び」というスタンスに立った場合は少々深みに欠け、薄っぺらくなってしまいます。
このような流れにならないよう、この講座では事前に各自が読書をし、主体的に学ぶ段取りをとっています。


今回は参加者さんがとてもよい題材を選んでくれました。

Y子さんの選定部分

私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。
(「先生と私」14の終盤より)

 

選定理由は、このようなものでした(お話を要約)

 友人との交友関係が年齢とともに変化していくなかで、以前のように頻繁に会うことも難しくなります。淋しいといえば淋しいけれど、この先それを避け続けることに心を砕くより、今から淋しさをまぎらわさず、慣れていくイメージで行きたい。このように意識を変えたら、色々発見がありました。

「誘いを受けても無理にスケジュール調整してまで参加しようとしない」「あえて参加しない」などのことをしても繋がりがなくなるわけではないことがわかったり、なにげなくやって いる普段のことがなんだか楽しくなったりしました。その一方で、やっぱり繋がっていたいという気持ちは消えるものではないということもわかりました。


わたしは、Y子さんが行ったことは「abhinivesha」のリアライゼーション(内在する意識を認識し、それに伴った行動をし、さらにそれをまた認識する)であると感じました。

これをヨーガの哲学、サーンキヤ哲学の説明トーンで語ると、「abhinivesha」は「死への恐怖」「つながりから離れることの恐怖」という意味になります。インド思想では輪廻転生がベースになっているので、死は「肉体という現世の乗り物から離れる」ということになります。

この「abhinivesha」は、わたしたちの日常のなかにも小さなスケールでたくさんあります。日本語には「帰属意識」という言葉があり、思春期の少年少女が「俺ら」「うちら」の世界から離れることを恐怖することもそうですし、大人であっても過去に所属していた組織とのつながりをキープしたがる人がいます。昔のおじいさんは、お正月の年賀状の数でそれを可視化していました。いまはインターネットのソーシャルメディアFacebookやLINEなど)がそれに替わるものになっています。わたしはこれも小さな「abhinivesha」と思って見ています。


話を戻します。さきほどTさんが抜き出してくれた部分で夏目漱石が描いている「淋しみ」は「帰属意識」よりも一歩踏み込んで、少し「abhinivesha」に近いものになっています。

自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は

「自由と独立」の意識までは社会性の領域で「外在の自己」ですが、「己れ」にいたっては「自我」の領域で「内在の自己」です。『こころ』で主人公の「先生」が語るこのくだりは「生きながらにして悟る」ことを目指す指針とも受け取れる表現ですが、最終的に「先生」は自殺の道を選びます。そう考えて読むと

 

私は今より一層淋しい未来の私を我慢する代りに、淋しい今の私を我慢したいのです。

⇒主人公の「先生」の語り

 

自由と独立と己れとに充ちた現代に生れた我々は、その犠牲としてみんなこの淋しみを味わわなくてはならないでしょう。

⇒作者「夏目漱石」の語り

 

と読み取れます。
まったく同じ部分を、同じ日に参加されていたA子さんも選定されていました。
A子さんの選定理由は、このようなコメントでした。

ここでいう自由と独立と己とにみちた現代の意味がよく理解できないので、気になります。
遺書の1ページ目にある先生の "自由" の状態もちょっととらえにくいです。死ぬとはっきりしたら死ぬ直前は自由だったってこと? では今までは自由ではなかったってこと? 倫理的に自由でいられなかったのか…先生難しいです(≧0≦)

 

A子さんはこの違和感を読み落とさず、夏目漱石がストーリーの中に忍ばせたヨーガ的な思想をしっかりとらえていました。選定理由は宿題として事前にメールでいただいているので、このようなかわいらしい絵文字が入ったりします(@°▽°@)。

 

今回紹介した「Abhinivesha」は、『ヨーガ・スートラ』では2章9節に登場し、「Klesha/苦しみの原因」の解説にも含まれます。
読書を題材に「ひっかかり」や「違和感」から掘り下げると、さまざまな発見があります。夏目漱石の小説はどの作品もヨーガの学びの題材にしやすいですが、「こころ」「門」がスタンダードな題材にしやすく、「三四郎」もまたユニークな視点での学びにつながります。

 

読書会については、わたしのカジュアルなブログでいくつか様子を紹介しています。
ご参考までに。(リンク先は「うちこのヨガ日記」)