まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

「無執着」のよくあるまちがった理解

ヨーガの哲学に必ずといっていいほど、しつこいといっていいほど登場する「non-attachment」「detachment」については、「こうではない」というイメージを併せもつことが有効のようです。わたしは授業で「よくあるまちがった理解」について教わりました。

シャルマ先生は「non-attachment」も「detachment」も、どの分野においてもパフォーマンス発揮の極意だとお話されていました。
授業は英語だったので補足すると

  • non-attachmentnon愛着(「愛着のない」と訳すと「まちがった理解」に近づいてしまう)
  • detachment超然(「無関心」と訳すと「まちがった理解」に近づいてしまう)

実際ここの説明の時点で、わたしのルームメイト(イタリア人)が先生に「マザー・テレサの教えはどうなるの?」という質問を挟んでいました。detachmentを脳内で「無関心」と訳すのは日本人だけではないようです。


先生は「よくあるまちがった理解」として以下のことをリストアップされていました。辞書に登場する語のなかでも間違いから遠いであろうとわたしの思う日本語を添えます。

  • renunciation:放棄
  • insensitive:鈍感な、無感覚な、心ない
  • cold brooded:冷血な
  • emotionless:感情のこもらない
  • selfish:自分本位
  • non caring:面倒見のわるい
  • passive:保守的な
  • unable to love lonely:孤独を愛することができない
  • running away from responcibility:責任逃れ


この授業を受けながら、項目が後半へ進むほどリアルに責任逃れの退路を断たれた感じがしてドキドキしたのを覚えています。

30%の人は7つの穴に問題を抱えているといわれる

朝のクリヤの練習でシャルマ先生が「30%の人は7つの穴に問題を抱えている」といわれる。だからこの修行があるという話をされたことがありました。
7つの穴というのは、目×2、鼻×2、耳×2、口 の合計7つの穴のことです。
このお話を聞いたのは以下の練習を経験した後でした。

  • jala neti(ネティ・ポットを使って行う鼻・のど洗浄)
  • surta neti(ひもを鼻の穴に通して行う鼻・のど洗浄)
  • vamana kriya(水を4杯飲んで指を口の中に入れて吐き出す)

ジャラネティ(塩水での鼻洗浄)は日本に帰ってきてからもお風呂で行いますが、通りの悪い日は鼻の奥と目の間に塩水が溜まってしまい、あとになって出てくることがあります。滞りのポケットのようなスペースがどこかにあるのか、粘液質の体液に水分が絡めとられているのか、両方か。自分の身体を通した経験では、そんなふうに感じます。

 

ハタ・ヨーガ・プラディピカーのネティの効用の部分を読んだら、以下のように書いてありました。

肩より上に生じたいろいろな病気の類をすみやかに無くする。
(「ヨーガ根本教典」より)

花粉症で鼻の通りが悪い日は思考がぼんやりしますが、その際も「花粉」というよりは「肩から上のトラブル」と捉えたほうが、より主体的に対処できます。ハタ・ヨーガの教典には健康メリットがたくさん書かれていますが、原因を病名にしない時代の書物なので、「その部位の問題にどう取り組むか」「その体液の性質にどう対峙するか」という根本的な視点に立ち返らせてくれます。

 

参考:9つの穴というときには以下の「九つの門」になります

インド人の日本語がたまにかわいいのは、ぶりっこではない

これはマントラの音について説明するときに、たとえのように話すトピックです。
サンスクリット語の音は日本語よりも子音が多く豊穣なのですが、「ざじずぜぞ」のなかでは「じ」しかありません。
外国の人にとっては強い「ざじずぜぞ」の連続がむずかしすぎるというかたもいます。カナダ人の友人で「つつじがおか」がいつもいえないと言うひとがいました。


日本語がペラペラのかたでも、日本人と同じように「ございます」というのは至難で、「ごじゃいます」に寄ります。
「ごじゃます」だともっとラクなのでしょう。さらに「ごにゃます」に近い「ごじゃます」であればもっとラク。というふうに、音の接続の組合せには母国語でなじんだ口の感覚の使い方が大きく影響します。


もともと日常的に発音することを想定していない音は、とてもむずかしい。日本人がサンスクリット語マントラを覚えていくときは、舌と唇のとても微細な連動規則を覚えていくことになるので、むずかしいアーサナを全身の感覚で覚えていくときとまったく同じです。
日本語は子音が少ないので(外国人の立場だと喋るだけなら覚えやすい)、サンスクリット語のような繊細な発音を覚えていくには繰り返し練習するしかありません。
日本語はラウドしやすいですが、サンスクリット語はラウドできない、おのずと平穏さへを導くような音の連続であると感じます。

なので

 

 あーりがとごじゃます

 

でも、わりと全力。
それが、発音しやすいのです。日本人の英語がカクカクしているのと同じです。
同じマントラを何百回と唱えていても、わたしはまだすべてうまく言えたと思う回がありません。