まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

マントラはバイブレーションで、捧げもの

授業の合間の雑談で、シャルマ先生がインド人にとってのマントラについて話してくれたことがありました。


マントラは詩そのものに意味があるというよりもバイブレーションで、捧げもの。シヴァが妻のパールヴァティに贈った、捧げものなんだとおっしゃっていました。
インドの修行の世界ではグルが弟子にマントラを与えたり、マントラには女の子が生まれたとき、男の子が生まれたときなど種類がたくさんあって、なんなら人を殺すマントラもあるくらいだ、と。(そのあとに「僕は知らないけれども」と添えつつ)


わたしのノートには、関西の人が言う「知らんけど」というようなニュアンスで先生が話されたことのメモがいくつか残っているのですが、こういうメモをきっかけに「インド人にとってのマントラは、日本人にとってはなにかな…」などとたまに考えたりします。

リラクゼーションとレイジーとレジャー

インドで受けていた哲学のクラスでは、 自分ひとりで自分の言葉で答えを探す空白の時間がたくさんありました。

ヨガニードラはrelaxationであって、lazyではない.
relaxation と lazy は、なにが違う?

 

ヨガニードラはrelaxationであって、leisureではない.
relaxation と leisure は、なにが違う?

 
これはヨガニードラについて教わった授業の中での先生からの問いかけ。
こんな問いかけから始まって2時間くらい続く問答式の授業のなかでの投球。当時のノートは3ヶ月で2冊にわたっていて、今でもよく開きます。


レイジーはリラクゼーションではないのだけど、これはありがちな間違った理解だと先生はお話されていました。リラクゼーションはひとりで自分のために使う時間だと。
そしてレジャーは疲労をもたらす、負担にもなるものをさすのだそうです。taxing という英語で説明されていました。

 

日本でカタカナ記載されるリラクゼーションはレイジーに寄っているけれど、どこにいてもレイジーになれない人がその時間を買っているのかもしれない。帰ってからしばらく街の中の「リラクゼーション」の文字列が気になって、そんなことを思いました。

ヨーガの目的は強いディフェンス・メカニズムをつくること

日本ではデトックスという言いかたが親しまれていますが、インドで受けたナチュラル・トリートメントという考えかたについての講義で毒出しについての話がありました。
小さなことが毎日いろいろ起こるなかで、人はバランスをとっている。これは体に限ったことではない。だからヨーガの目的は強いディフェンス・メカニズムをつくることでもあるのだ、という導入。

そのときに、シャルマ先生がそのプロセスについて話してくれました。スタートは、心からでした。

 

1:Mental Disturb(心がかき乱れる)
 ↓
2:Digestion(消化に影響)
 ↓
3:Waste(無駄が発生)
 ↓
4:Toxin(毒素が発生)
 ↓
5:Running Nose(鼻水が発生)


3のところでは、もう充分なのに食べるという行為も同じで、そこで無駄が積み上げられる。
5のところでは、薬ではドライアウトすることにしか働きかけられない。毒出しをするわけではない。
この1~5全体の、毒を出そうとするところまでが、心と体の混乱から助けてくれるものであり、身体はかしこくできているのだ、というまとめでした。


このように消化の手前から説明されると、ヨーガの教典でやたら「消化の火(アグニ)」の話が出てくる理由がわかります。