まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

いま全部わからなくても、personal journey のなかでわかってくる

インドでの授業のメモからの書き起こしです。 わたしはこの頃500時間のトレーニングを受けており、前半は200時間のトレーニングのメンバーと一緒でした。 今日の書き起こしは、その人たちがコースを修了していく頃の授業にあった内容です。「いま全部わから…

肉体は魂の乗り物であり、城でもある

わたしはヨガクラスでいつも同じ喩えを使います。ヨガに関する書物を英文で読んでいると、vehicleという表現が使われていて、それは肉体は魂の乗り物と捉えるから。この肉体から次の肉体に移る「乗り換え」がある、輪廻思想がベースになっています。 ヨガ・…

ヨガの教えが人生に生きると思っている事例。「創造・維持・破壊」のこと

今日のヨガクラスの前に話したことを書きます。 わたしのヨガクラスで定期的にお会いするかたや別の仕事場でお会いするかたを見ていて、半年ほど前に発表された「約4割の人が感染を経験」(関東の都心の話です)という構成比が、わたしの周辺では実態に近い…

宗教の学びかた

この文章を書いたのは2022年9月の第2週目で、最近のハタ・ヨーガのクラスの前に話したことを振り返って文章化しています。 普段はなるべく時代の空気をまとわない題材を選んでいるのですが、このトピックについては読み返したときに現在の日本の世相・空気が…

あなたはどう考える? とヨガの先生から問われたときのこと

先日、わたしが主催する読書会の冒頭で、初めてヨガを教わった先生の話をしました。その先生は流暢な日本語を話す、インドのコルカタからやってきた先生で、客観的な視点から教えてもらう日本の歴史はとても興味深いものでした。(先生は昨年他界されました…

やり残し(backlog)や集合的無意識とどう向き合うか

2020年に受けたオンライン講座の内容からの掘り下げです。このシリーズは毎週1回の開催で、合計6回の講座でした。シャルマ先生と話すのは1年ぶりでしたが、毎回のように現代の心理学者や僧侶の名前が出てきたため、2020年と2021年はこの講座のノートを追いか…

しゃーない、しゃーない。まんだ、まんだ。

先月開催したオンラインでの夜のほぐし会の雑談から。ごあいさつを兼ねてお話しした内容に背景を添えて書きます。 ハタ・ヨーガの教典を読んでいると、ときどきオノマトペのような、繰り返す言葉に出会います。そのなかに、似ているけれどもちょっとニュアン…

動物には動物のビヘイビアがある。人間にはそこに「神的」「悪魔的」がある

シャルマ先生のクラスの頻出用語のひとつ、behaviour があります。この単語は辞書で引くと、行動・動作・挙動・振舞い・素行などさまざまな日本語が出てくるけれど、今日のトピックの流れでは、マーケティング用語でよく使われる「ビヘイビア」がわたしには…

ヨガの練習は狂い止め・怒り止め・流れ止め

昨年の大きな環境変化のなかで行ったヨガクラスの冒頭で話したことを覚えてくださっていた人が、そのフレーズを寸分違わずメールにさりげなく書いてくださり、その時話したことを思い出しました。その日は、練習の前にわたしが何年もかけて実感してきたこと…

行動には背景があり、それは感情とは別のもの

数年ぶりに参加した授業は「ダルシャン」の意味のおさらいから始まりました。参加者は先生と初対面ではないリピーターの人ばかりだったようで、基本の確認から始まりました。「ダルシャン」というインドの言葉を日本語にするときは、英語で「Philosophy」を…

だれもあなたの部屋を片づけにきてはくれない

今日書くことも、久しぶりに受けたシャルマ先生の授業の初日のお話からです。先月に書いた「Howではじまる問いの中にいましょう」というお話のあとに、先生はわたしたちに以下のように言いました。 だれもあなたの部屋を片づけにきてはくれない。 スニルも、…

How ではじまる問いの中にいましょう。Why を先頭に置けば質問になるわけではありません

2020年の6月から、8年ぶりにシャルマ先生の授業をオンラインで受けています。 その内容のなかに、これを初日から言うところがすばらいと思うお話がありました。人生の問題について、「なぜ悪い…」というふうに、「なぜ」「なぜ」「なぜ」と問うていくとエン…

とぼけたふりをしながら、ちゃっかり選んでいるわたしたちのこと

2020年の6月現在、8年ぶりにシャルマ先生の授業をオンラインで受けています。インドの先生が話す英語を即座に理解できる人ならリアルタイムで爆笑できることも、わたしはあとで辞書を引きながら何時間もかけて自分のメモを訳していくことで、やっと理解しま…

クンダリニーについての、さまざまなハタ・ヨーガ教典内の記述

このページでは、いくつかのハタ・ヨーガの教典内にあるクンダリニーに言及した記述を抜粋しています。クンダリニーという記述のある個所のみで、「彼女は」「かの女神は」のような代名詞表現の箇所は入れていません。代名詞や暗喩を含めると記述は多岐にわ…

三本柱でバランスする トリダンディ

ハタ・ヨーガの経典に残されている記述について、一年前にヨガクラスで話した内容がいまでも強く印象に残っていているとおっしゃる人がいて、あの話はそんなに印象的であったか…と思い、あらためてそのときに参照した経典も含めて見直しました。わたしが社会…

身近な人の習慣を嫌うのは同一視によるもの

ヨーガ・スートラの第1章1節~4節の説明する授業の中で、心のはたらきについて、先生が日常の事例で話をしてくれました。心のはたらきの「はたらき」の部分はサンスクリットでは vrtti. シャルマ先生は英語で behaviour という言い方で話されていました。心…

偏ったり保守的なふるまいのモードから抜け出すこと

ヨーガ・スートラの第1章2節について、インドで受けた授業のノートから、先生のお話が今になってずっしりくる。そんな振り返りをかねての紹介です。ヨーガ・スートラの第1章2節はこの節です。 心の作用を止滅することが、ヨーガである。(参考) この「作用…

ビンゴでギーター 12章17節

この節は東京で2名のかたが「刺さった節・気になった節」として選んでいました。それぞれ以下のような理由をお話いただきました。 最近抜け駆けをされて人に出し抜かれてしまったことがあり、心がひどく乱れ、この節が深く沁みました。敬愛するものに対して…

ビンゴでギーター 2章62節と63節

(※2019年に東京で選定者が増えたため加筆しアップデートしました)この節は関西で2名、関東で6名のかたが選定されました。理由をお聞きすると、怒りから破壊へのプロセスの説明がわかりやすいということでした。それぞれ以下のようなコメントでした。 何度…

ヴァールミーキの「ラーマーヤナ」は責任について書いている

インドの人が英語で話すときに使う「responsibility」は、日本語でいう「責任」とは少し違うニュアンスです。ヨーガの授業でシャルマ先生がヴァールミーキの「ラーマーヤナ」は責任について書いているという話をしてくれたことがありました。そのとき先生が…

感覚を細分化して理解する

ヨガクラスの始まりや終わりのときのガイドの背景について書きます。 座って目を閉じるガイドをするとき、わたしは以下のようなフレーズを使います。 目を閉じて、目の玉を奥に引っ込めて まぶたの内側のチラチラから意識を離すように、感覚を奥に引っ込めて…

その日の朝、はじめに見たものが大切。手のひらに神を見るマントラ

アンキット先生のチャンティングのクラスで唱えたマントラに、格別に好きになったものがありました。朝のマントラ(Early Morning Mantra)として教えてもらった「Karagre Vasate Lakshmi~」ではじまるマントラです。 両手のひらを見つめながら、以下の神様…

インド三大神の覚えかた「G・O・D」

チャンティングのアンキット先生が、「グルル ブラフマ、 グルル ヴィシュヌ…」ではじまるマントラの説明中にちょっとしたTIPSを話してくれました。1192つくろう鎌倉幕府、のようなもの。ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神の役割の覚えかたは「G・O・D…

食べている時間は、食道をふさいでいる時間

シャルマ先生が食事について、しょっちゅう食べるのはよくないという話をされていました。理由はとてもシンプルで 食べている瞬間=食道をふさいでいる という考えかたです。 ヨーガのクリヤで鼻や喉の浄化法を練習しながら座学の時間にこのような話があり、…

頭の中のサーチエンジンと消化作用

ヨーガはエクササイズやスポーツとはちがうね、というアジェンダでの授業のメモの中にとても気になっている一行があります。パフォーマンスを上げるためにヨガをすることもあるけれど、スポーツのひとつのカテゴリとしてのヨガとヨーガは別だよという説明の…

ヨーガな瞬間と、そうでない瞬間。三つの観点

インドで受けた哲学の授業時間は、先生がなんとなく話す「こういうことってありますよね。あなたはどう考えますか?」というよう投球から始まってディスカッションへと展開し「ではそろそろ今日の本題に入ろうかな」となったりして、あまり英語ができないわ…

舌を楽しませるために食べているのではない。生きるために食べている

これはかなりのインパクトで、今でもよく思い出す先生の言葉です。 舌を楽しませるために食べているのではない。生きるために食べている。 寮ではブランチと夕食の時間がありましたが、夕食中は無言。おしゃべりは禁止でした。 日本で日常に戻って数年が過ぎ…

マントラはバイブレーションで、捧げもの

授業の合間の雑談で、シャルマ先生がインド人にとってのマントラについて話してくれたことがありました。 マントラは詩そのものに意味があるというよりもバイブレーションで、捧げもの。シヴァが妻のパールヴァティに贈った、捧げものなんだとおっしゃってい…

リラクゼーションとレイジーとレジャー

インドで受けていた哲学のクラスでは、 自分ひとりで自分の言葉で答えを探す空白の時間がたくさんありました。 ヨガニードラはrelaxationであって、lazyではない.relaxation と lazy は、なにが違う? ヨガニードラはrelaxationであって、leisureではない.re…

ヨーガの目的は強いディフェンス・メカニズムをつくること

日本ではデトックスという言いかたが親しまれていますが、インドで受けたナチュラル・トリートメントという考えかたについての講義で毒出しについての話がありました。小さなことが毎日いろいろ起こるなかで、人はバランスをとっている。これは体に限ったこ…