まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

正しい知識を認める方法は3種類ある

サーンキヤ・カーリカー 第4節・その注釈で述べられていること

「直接経験や知覚」「推論」「信頼される人のことば」によって
「正しい知識」のすべての証明が確立されています。
この3種類の方法で「正しい知識」は認められ、
その認識手段にもとづいて認識対象が成立します。

 

<「サーンキヤ・カーリカー」内でのこの節>

ミーマンサー、ニヤーヤ、ヨーガ学派のスートラにもこのような「認識手段」の定義の記述があり、「最大で6つを挙げる学派もあるけど、サーンキヤでは3つとします」という内容であることが、注釈書で補記されています。

特にサーンキヤならではの個性が立つ要素はありませんが、このような考え方は他のインド哲学学派の書物を参照すると、楽しく学ぶことができます。「認識手段」だけを見ると、「ヴァイシェーシカ」「ヨーガ」「サーンキヤ」は同じ主張であることがわかります。

(末尾に参考記述を添えます)

 

<日本語化の意図メモ>

鶏が先か卵が先か、みたいな文章です。

リストアップされた3つの要素のなかで、「経験」はヨーガの思想で強化されていきます。そのため1は「知覚」のみにせず、「直接経験や知覚」としました。

 

<用語メモ>

知覚、認知、理解(drstam)
推論、推定(anumanam)
正しい知識(pramana)
推論(anumana)
信頼される人のことば、能力ある人のことば(aptavacanam)
すべて、全体(sarva)
証明、正しいと証明されたもの(pramana,pramanam)
確立した、確立された(siddhatvat)
3倍の、3重の(trividham)
認識されることができるもの、認識されたこと(prameya)
確立する、成立する(siddhih)

 

<関連メモ>

「認識手段」についての他派スートラでの定義いろいろ(年代順に)

ガウダパーダの注釈部分訳(湯田豊 訳)より

(『ミーマンサー・スートラ』の作者と伝えられる)ジャイミニは、六つの認識手段が存在すると言う。さて、それらの認識手段とは何か? (ジャイミニによれば)

自明の想定(arthapatti)、等価(sambhava)、非存在(abhava)、直感(pratibha)、伝説(aitihya)および類推(upamana)が六つの認識手段である。

 

「チャラカ・サンヒター」第11章17節(矢野道雄 訳) より

CS11-17:

一切はまことに実在と非実在の二種類だけである。その吟味の仕方には四種類ある ── 信頼すべき人の教えと、直接知覚と、推量と、理(ユクティ)とである。

 

【註釈より】

ここで述べられている三つ、すなわち直接知覚(pratyaksa)、聖なる教え(agama)、推理(anumana)はインド論理学で基本的な認識手段とされるものである。

本書(チャラカ・サンヒター)ではこれに道理(yukti)を第四の認識手段として加えているように思われる。

 

ニヤーヤ・スートラ(中村元 訳)より

NS1-a-3:認識手段(pramana)とは、直接知覚と、推論と、類推と、信頼されるべきことばとの四つである。

 

ヨーガ・スートラ(中村元 訳)より

YS1-7:正しい認識とは、直接知覚(pratyaksa)と推理(anumana)と伝承(agama)とである。

 

ヴァイシェーシカ・スートラは討論形式なのでズバリとそれを示す節がないのですが、以下の主張部分がそれに近く、「推知」「われわれよりもすぐれた昔の人々」「直接知覚」の3つを認めていることがわかり、項目としては「ヨーガ」「サーンキヤ」とまったく同じです。

第二編 第一章 (中村元 訳)より抜き書き

VS2-1-14:一つの風が他の風と衝突することが、風の雑多性(=もろもろの風の方向や運動が異なっていること)を推知させるための証因(linga)である。

VS2-1-18:風に関して名称を対象とする認識のあることは、われわれよりもすぐれた昔の人々の存在することを示す証因である。

VS2-1-19:なんとなればある名称がある対象を意味しているということは、ものごとの直接知覚(pratyaksa)にもとづいて成立するのであるから。

 

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