まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

直接経験・知覚のブレイクダウン1 推論は3種類ある

サーンキヤ・カーリカー 第5節・その注釈で述べられていること

「直接経験や知覚」は、知覚器官が対象を認識することです。
「推論」は、3種類あるといわれています。それは、リンガとリンガのもとになるものによって先行されます。
「信頼される人のことば」は、信頼に値する書物と、信頼に値する人物のことばです。

 

<「サーンキヤ・カーリカー」内でのこの節>

第4節同様、第3節の「正しい知識」について掘り下げています。

 

<日本語化の意図メモ>

「推論」の一般的なところは他派の諸説に丸投げしています。そこは重要ではないようです。(他派の節で参照すべきものを下に記載しておきました)

そしてそのあとに「リンガ=あらわれ」(のちに「顕現(vyakta)の理解につながっていく」について言及するところが、サーンキヤ哲学の大きな特徴です。

lingaということばが指すニュアンスがとても広くむずかしいですが、サンスクリット語の文では「lingalingin」と書かれており、物事を推測するときに、そのあらわれ(しるし)の存在を見て、「こうではないか?」⇒「おそらくそうだ」と推測していく段階に進むことが表現されています。

よく「linga=煙」「lingin=火」に喩えられます。

 

「先行されます。」のところは、過去には「前提とする」という訳もあるのですが、日本語の「前提とする」は用意した感じのニュアンスが出てしまうので、「先行されます。」としました。
中村元先生は「~にもとづく」と訳しており、日本語のニュアンスの違いによる理解の引き寄せを避けようとしているように見えます。(こういう配慮は随所に見られる)
田豊先生はもとのサンスクリット語の意味のもつ、脳の認識機能をよりシンプルに表現した方向に寄せ、これもまた日本語(および日本人)特有の理解の引き寄せを避けようとしているように見えます。


<用語メモ>

~すること、~の理由で(prati)
物体、対象(visaya)
それにもとづく知識、思索する、洞察する(adhyavasaya)
知覚、認知、理解(drstam)
3倍の、3重の(trividham)
推論、推定(anumanam)
述べた、(そう)よばれるもの、宣告したもの、宣言したもの(akhyatam)
しるし、境界(linga)
しるしがあるもの、優勢な条件(lingin)
予測する、知識によって先立って知る(purvakam)
信頼できる、当てになる、尊敬される(apta)
聖典、書物、ヴェーダ(sruti)
ことば、格言、示されたこと、契約、約束(vacanam)

※ここでの tal は tat(あれ)
※akhyatam は冒頭を伸ばすakhyatam。伸ばさない「有名ではない」「知られていない」の意味になるので要注意

 

<関連メモ>

直接経験・知覚

一行目の同じような節が「チャラカ・サンヒター」の11章20節にあります。矢野道雄 訳)より

CS11-20:
アートマンと感覚機能と対象とが接触することによって、その瞬間に発現する知覚が、直接知覚と呼ばれる。

 

推論の3種類

サーンキヤ・カーリカーこの項ではつかみきれないのですが、「ニヤーヤ・スートラ」に推理の種類として3つがリストアップされていました。

ニヤーヤ・スートラ(中村元 訳)より

NS1-a-5:それ(直接知覚)にもとづく推論に三種ある。
すなわち以前に起こったことにもとづく推論(purvavat)と、
後に起こることにもとづく推論(sesavat)と、
周延関係が一般に経験され承認されていることにもとづく推論(samanyato drsta)である。

 

「三種の推定はさまざまの文献に言及されているがその解釈は一定しない。」とし、「バラモン教典 原始仏典服部正明訳を収録)」の 315ページの注記にいくつかの事例の掲載がある。

 

▼次の節へ

 

▼インデックスへ