サーンキヤ・カーリカー 第21節・その注釈で述べられていること
プルシャは「見る」ことのために、根本原質としてのプラクリティは、プルシャが「独存する」ことを成し遂げるために結合します。
盲人が足の不自由な人を背負って目的地へたどり着こうとするように、結合します。この(プルシャとプラクリティの)結合によって、創造があります。
<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
サーンキヤの特徴である「samyoga:プルシャとプラクリティが結合すること」の概念の説明です。かなり骨太の方針を語る節でありながら、定番の比喩を用い、短い文字数で説明されています。
<日本語化の意図メモ>
足の不自由な人が盲人を背負って歩く関係は、「ウパニシャッド」に出てくる喩えらしいのですが、どこかで見つけたら具体的な節を探して補記します。
<用語メモ>
プルシャは(purusasya)
見ようとする、見る目的のため(darsanartham)
独存、分離して存在する(kaivalyarthamsya)
根本原質としてのプラクリティは(pradhanasya)
盲人(pangu)
盲人と足の不自由な人のように(pangvandhavad)
結びつく、結合する(samyoga)
両方(ubhaya,ubhayor)
それによってなされる、それにより、したがって(tatkrte,tatkrta)
生産、創造(sargah)
<アーサナ練習の雑学メモ>
ubhaya(両方の、両者の)は、両足を持つ「ウバヤ・パタングシュタ・アーサナ」の "ウバヤ" です。
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