まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

知覚器官は、ただ知覚するだけ。行為器官は、こんなことをする

サーンキヤ・カーリカー 第28節・その注釈 で述べられていること

形やその他の5つの知覚器官のはたらきは、ただ知覚をするだけのものです。

話すこと・手で取ること・歩くこと・排泄すること・性のよろこびが、5つの行為器官のはたらきです。

 

<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
第26節で、「11の数ある一群」のうち10個まで説明。
第27節で、残りのひとつ「マナス(思考器官)を説明。
第28節で、もう一度26節の10個について、これらはただ「機能する器官」であることを強調。←いまここ
第29節以降では、「マナス」をブッディ、アハンカーラと並べて説明していきます。
サーンキヤでは、マナスは器官でありながら、ブッディやアハンカーラと同様に、結果に影響をおよぼすことのできる機能を持っているという構造になっています。

 

<日本語化の意図メモ>
「ただ知覚をするだけ」という表現は、同時に「識別はしない」ということを指しています。これは、第29節以降でマナスについて詳述していく上であらためて強調している節です。
「性的よろこび」のところは、ヨーガ周辺の教典の訳で、いつもむずかしいところです。「子を持ち human being として満たされる豊穣の喜び」「性的快楽」の両方を指しているかもしれませんが、この流れでは「性的快楽」と解釈されています。


<用語メモ>
形やその他について(rupadisu)
5(panca)
5つの~は(pancanam)
目を使わずに、知覚する、観察する、熟考する、考察する(alocana)
単に、シンプルに(matra)
知覚する、ただ知覚する、端的に観する(alochanamatra)
そうなる(isyate)
はたらく、機能する(vrttih)
話す、語る、言葉(vacana)
取る、把握、持つ(adana)
歩く、ぶらつく、散歩する、ピクニック(viharana)
放出、排出、排泄(utsarga)
満足、喜び(anandah)

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