まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

知覚器官、行為器官の対象領域

サーンキヤ・カーリカー 第34節・その注釈で述べられていること

これら13の器官のうち、5つの知覚器官は特殊なことも、特殊でないことも対象にします。
(行為器官のうち)「話す」器官は音を対象にします。
そしてその残りの行為器官は(「色」「音」「香」「味」「触感」)の5つを対象にします。


<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
各器官は具体的になにを対象とするかを述べています。
機能の説明であれば第26節のあとに置くのが自然なのですが、第30節で「見える対象・見えない対象」の説明をした後のほうがよかったのでしょうか、なぜかここにあります。


<日本語化の意図メモ>
このようなことになります。

知覚と対象領域

特殊なこと 特殊でないこと 触感
見る
聞く
嗅ぐ
味わう
触れる

わざわざ「特殊なこと」「特殊でないこと」に分けているのは、人間が知覚できるもの・神の知覚できるものの区別であるとする説明がガウパーダ註にあります。
(バガヴァッド・ギーターにも「プルシャ」と「高次のプルシャ(クリシュナのプルシャ)」を区別したり、「神的な資質」という表現が見られます)


行為と対象領域

触感
話す
手で取る
歩く
排泄する
性をよろこぶ

このように分解すると、「話す」ことはたしかに音しか伴わないのですが、「音色」「声色」のようなものがあります。
ヨーガでは「音」「聖音」「バイブレーション」「マントラ」を特別なものとして扱うので、神的な性質の知覚ということなのかもしれません。


<用語メモ>
知覚器官(buddhi+indriya)
それらのうち、それらの中で(tesam)
5(pancha)
特殊(visesa,vishesha)
特殊でない(avisesa / a=not)
対象(visaya)
話す(vag)
ある、成る、起こる(bhavati)
音、言葉、音を起こすもの(sabda)
残り(sesa)
そしてその残り(sesani tu)


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