サーンキヤ・カーリカー 第56節・その注釈で述べられていること
プラクリティの自動的な活動は、大なるものから元素に至るまでに及びます。
それはプルシャの解脱のために行われます。自己のためであるかのようでありながら、他のもののために開始されます。
<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
サーンキヤ哲学の核となるひとつの重要な事項を述べています。
この節のあと、「あたかも~は~であるかのように活動する」という事例の喩えが続きます。
<日本語化の意図メモ>
この節は特にありません。
<用語メモ>
最終的に、終了する(ityesa)
自動的に+行う、自然なはたらきが+起こる(prakriti+krto)
創る、活動する、する、動く(krt)
大きな、大なるもの(maha)
与える、授ける、贈る(dadi)
変化する(visesa)
元素、要素(bhuta)
に至る、~まで、~へ(paryanta)
~へ、~のために、~について(prati)
プルシャ(purusa)
解脱+のために(vimoksa+rtham)
自己のため、自分のため(sva+rtha)
~かのように、~として(iva)
他のもののために、他の対象をもって(para+rtha)
開始する、はじめる(arambha)
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