まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

プラクリティほど優美なものはない

サーンキヤ・カーリカー 第61節・その注釈で述べられていること

「プラクリティほど優美なものは、ほかには存在しない」というのがわたしの意見です。
観る者に向けて活動したあと、再びプルシャに見られようとはしません。


<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
イーシュヴァラクリシュナが「わたしの考えでは」とハッキリ意思表明をする節です。

 

<日本語化の意図メモ>
これまで淡々と原理をカウントしそのはたらきを説き、いくつかの喩えを経て、このような意思表明をするという流れはほかの教説では見たことがなく、たいへん魅力的な節です。

 

<用語メモ>

ラクリティから、プラクリティより(prakrteh)
繊細な+もの、きめ細かい+もの、優美な+もの、柔らかい+もの(sukumarata+ram)
ない(na=not)
存在する、ある(asti)
なにか、ほかのもの(kincid)
わたしの、わたしにとっては(me)
知識、意見、理解、視点、信条(mati)
考え(bhavati)
誰か(ya)
観る(drsta)
わたしは(asmi)
~した(iti)
わたしは観られたと考える(drsta asmi iti,drstasmiti)
再び(punar)
見せる(darsanam)
する、アプローチする、届ける(upaiti)
プルシャに、プルシャの(purusasya)

 

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