まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

停止したプラクリティを、プルシャは観客のように眺める

サーンキヤ・カーリカー 第65節・その注釈で述べられていること

それにより、生み出すことをやめ、目的による7つの様体をとらなくなる

(そうなった)プラクリティを、プルシャは観客のように落ち着いてくつろいで眺めます。

 

<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
解脱にいたる段階のプルシャ側のスタンスを述べています。


<日本語化の意図メモ>
「意味・目的+義務・義理 / artha+vasat」のところは日本語化するのがたいへんむずかしいのですが、「目的による」としました。
観客のところは、第59節のダンサーの喩えの流れにあわせました。

<用語メモ>
これによって、それによって(tena)
やめる、鎮める、なくする、帰す(nivrtta)
生む、生産する、子孫(prasava)
意味・目的+義務・義理 (artha+vasat)
7つの様体(sapta+rupa)
とどまる+~をやめる、~を鎮める、~をなくする、帰す(vinivrtta)
ラクリティ(prakrtim)
観る、観察する、眺める(pasyati)
プルシャ(purusah)
思慮する、見る+~のように(preksa+kavad)
安定し、安住し、落ち着いて(avasthitah)
快適に、くつろいで(avastithtah)

 

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