まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

完全な知識を得ても、過去の勢いで肉体は続く

サーンキヤ・カーリカー 第67節・その注釈で述べられていること

完全な知識を得ることで、功徳などのダルマが作用の原因としてはたらくことはなくなります。
ろくろが粘土を取り去っても過去の勢いで回転し続けるように、身体は保有し続けます。


<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
精神の知識習得と身体の継続を説明しています。


<日本語化の意図メモ>

sarira を「身体」と訳すと、これまでリンガの話が何度も出てきており、mediaに近いニュアンスでの「身体」と混同しやすいので、意図的に人間のbodyのニュアンスを強め「肉体」としました。
この節では精神が自己を客観視して「結びつくこと」をただ見ることができる状態になっても、余韻の力(それもまた自然の力)によって肉体ははたらきを継続するしますよ 、ということを述べています。それは業によるものだけどそこに善悪があるわけではなく、それは「そういうはたらき」であるというスタンス。道徳的・倫理的 なニュアンスを削ぎ落として示しています。


<用語メモ>
完全に、まったく、すっかり(samyak)
知恵、知識(janana)
得る、マスターする、学ぶ、知識(adhigama)
功徳、ダルマ(dharma)
~などが、~により、~が(adinam)
原因ではない not原因(a+karana)
作用する、遂行する、得る(prapta)
とどまる、滞在する(tisthati)
過去のはずみ・勢い、潜勢力(samskara+vasa)
輪が+回転するように(cakra+bhrama / chakrabhrama)
維持する、保つ、受け入れる(dhrta)
肉体(sarirah)

 

▼次の節へ

 

▼インデックスへ