哲学授業冒頭の雑談で、シャルマ先生がさらりと言ったひとこと。
将来の見込み、希望は秘めておくものだ。
人に何をしているか(どんな練習をしているか)
内情は話さないものだ。
11世紀以降に栄えたハタ・ヨーガの教典にはこのようなフレーズがよく出てきます。
先生は常に教典・聖典をベースに話をするので、なにげない雑談の中にも古くからの教えがキャッチフレーズのように織り込まれます。昔から伝えられてきた教えも、目の前にいる生身の人間の口から聞くと、ぐっと立体的なものに感じられる。
以来、この教えを思い出すことが多くなりました。
少し先に予定している変化、それ以前の仕込みを秘めるようになりました。
鳥に狙われる実りかけの果実を隠すようなことを、あたりまえにできるようになりました。