わたしのヨガクラスでもよくやる「1分間サイレンス」の話。
インドで授業のはじまり、合間に、先生が
Silence
と言ったら、すぐ1分間の静寂をつくり、黙想する。
すべての先生がやっていたわけではないのですが、わたしが哲学を教わったシャルマ先生は毎回やっていました。
だ る ま さ ん が
こ ろ ん だ
と言われたときみたいに、さっと始まる。
新しいタスクに取り掛かるときにやる。
ある日、「この1分間サイレンスは、なんでやってるかわかる?」という話からクラスが始まりました。
こたえはふたつ。
「意識をコントロールするため」「祈りの練習」
日々いろいろなことをしているからね、と。
このときに、先生が「アーサナもマントラ・チャンティングも、すべて浄化(purification)に関連しているよ」とおっしゃったあとに、印象に残るお話をされたのですが、ノートの走り書きに
purification mind find naturally
control of mind, cleaning of mind
とありました。
性善説というよりも、性清説、のようなこと。
解脱を目ざせるという前提の考え方にはすべて、この背景があるのだよなぁ。