これはかなりのインパクトで、今でもよく思い出す先生の言葉です。
舌を楽しませるために食べているのではない。生きるために食べている。
寮ではブランチと夕食の時間がありましたが、夕食中は無言。おしゃべりは禁止でした。
日本で日常に戻って数年が過ぎ、えいやっと決めるだけのことを先送りしようとするときに、なんとなくおせべいに手を出す。そんな自分にハッとしながら思い出すのはこの言葉。わたしは歯を伝う頭蓋骨の振動も楽しませるのが好きなので、ついつい堅焼きのおせんべいを買ってしまいます。買う瞬間も、それに支配されている。
いまはアーサナの練習にも同じことがいえると思っています。感覚を楽しませる瞬間に長く居させてくれない、順番が決まっていてひと呼吸ひと挙動で進んでいくヴィンヤサ・ヨーガのシステムはうまくできているなと思います。
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