まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

三本柱でバランスする トリダンディ

ハタ・ヨーガの経典に残されている記述について、一年前にヨガクラスで話した内容がいまでも強く印象に残っていているとおっしゃる人がいて、あの話はそんなに印象的であったか…と思い、あらためてそのときに参照した経典も含めて見直しました。
わたしが社会生活を送っていくうえでとても気に入っている「三本柱の者・トリダンディ」というありかた。
自分で自分のバランスをとり続けていくことを考えるきかっけとして、とても有益に感じられたのでヨガクラスで話したのですが、ここであらためて紹介します。

 

ハタ・ヨーガの経典にはさまざまなものがありますが、そのときは「Siddhasiddhaantapaddhatih」の中にある節を紹介しました。
この経典は最終章でさまざまなヨーギーの在り方(態度やスタンス)をリストアップしています。
その一連の流れの中に、ブラフマチャリヤ(独身者のヨーギー)、グラハスタ(在家のヨーギー)、ヴァーナプラスタ(隠遁者のヨーギー)とはこのような人であるよという生活スタイル別の記述があったのちに、サンニャーシ(行者)のありようとしてさまざまな宗派(の信じているもの)の記述が続きます。
その始まりが、以下の順番になっています。

  • トリダンディ(6章37節)
  • エカダンディ(6章38節)


わたしはこの経典の中にある「トリダンディ」の節を読んだときに、その内容が自身の腹にストンとおさまる感じがあって、ある日のヨガクラスで紹介しました。
書物にはこのように残されています。以下はわたしの日本語訳です。

「無知(マーヤー)」と「行為(カルマ)」と「ただ存在することの足かせ」を中断なくコントロールし、岩のように動かぬ者はトリダンディ(三本柱の人)といわれる。

三本柱のところは「tri+dandha」で三つの棒」(ダンダーサナのダンダ)なので、三つの支えでバランスする者というふうにイメージするとより日常に落とし込みやすいです(ヨガクラスではジェスチャーを交えながら話しました)。

 

この経典(Siddhasiddhaantapaddhatih)のこの部分は、さまざまな教派の教えを淡々とリストアップしていく構成になっています。
掘り下げて補足すると、この節はサンニャーシ(行者)の種類のリストアップ。トリダンディはヴァイシュナヴァの行者を、エカダンディはマーヤーヴァーディーの行者を指しているという説明になるのですが、いずれもヒンドゥー教の宗派の一つです。

ヴァイシュナヴァ派については、その宗派の教えを信仰する人物としてガンディーやタゴールという名前を挙げれば、それがいかに現実社会に落とし込みやすい教えを含んだものであるかがわかりやすいかと思います。
以下の本に参考になる記述がたくさんあります。

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

ガンジー自伝 (中公文庫BIBLIO20世紀)

 

ハタ・ヨーガの経典はたくさんあり、それぞれに特徴があります。現代の感覚で読むと理解しにくい内容もあるのですが、このようにとりあげて紹介したくなる宝物のような記述もあります。
わたしがヨガクラスで古くからの教えについて話すときは、いまわたしが生きている日本の社会生活と練習の経験から超越しすぎない距離感で伝えていきたいと考えているので、いまは練習の前後にちょこっとお伝えするようにしています。