まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

宗教の学びかた

この文章を書いたのは20229月の第2週目で、最近のハタ・ヨーガのクラスの前に話したことを振り返って文章化しています。

普段はなるべく時代の空気をまとわない題材を選んでいるのですが、このトピックについては読み返したときに現在の日本の世相・空気が紐づいてくると思うので、冒頭に時期を記載しました。

 

ここ二ヶ月ほど、日本ではカルト組織(具体的には旧統一教会)の問題が毎日のようにニュースに取り上げられています。問題は組織の集金システム、外国と繋がった組織体、政界への人材奉仕&票数獲得とトレードオフで得る看過、自らの意思で入信したわけではない子ども(二世)の人権、社会のなかで居場所を感じられない帰属意識の問題など、太いものがいくつも複雑に絡み合っています。

 

わたしはもうひとつのブログ「うちこのヨガ日記」で、この二ヶ月の間に何度か、自分の過去の経験を書いています。

 

 

わたしは宗教について知りたくなったら、教義が書いてある本(経典や聖典)を読みます。

そのうえで、日本社会のなかでどんなふうに宗教の知識が取り扱われていくのがよいと思っているか。この日はわたしの経験から考えたことを話しました。

 

宗教と神話学

この日は参加者のなかに、少し前に「ギリシャ神話を読みはじめた」と話してくださっていた人がいらしたので、わたしからそのかたへ「入りやすい本、読みはじめやすいシリーズはありますか?」と質問するところから話がはじまりました。

 

ギリシャ神話については小学生の頃に見たプラネタリウムでの知識しかなく、神様の名前以外はあまり覚えていません。アキレス腱の由来になった話や前髪を掴む話、ナルキッソスの泉の話くらいは、ざっくりその喩えの意味するものだけ知っている程度ですと話しました。

この日は神話や聖典・聖書との接点について話したくて、旧約聖書新約聖書、あるいはキリスト教に関しては聖書が40以上あってあまりに多すぎるので、小説やダンテの神曲のような物語から入っています、という自分のスタンスを話しました。

 

物語を通して宗教に関心をもった最初のきっかけが、子どもの頃に見たテレビドラマの西遊記だったことも話しました。

わかりやすい勧善懲悪ではなく、妖怪の背景と事情にも焦点があてられ、最後は仏法に救われる。毎回繰り返されるこの物語に惹かれた理由がわかってきたのは、大人になって何十年も経ってからだった、というわたしの振り返りを話しました。

 

 

インドで自分の宗教観を話したときのこと

10年前にインドでヨガのティーチャー・トレーニングを受けていた頃、わたしはいろんな国の人から自分の宗教観をきかれ、その都度返答していくなかで自分の意識が整理されていきました。その時のことを、以下の例も含めながら話しました。

 

  • あなたはブッディスト? ときかれれば、わたしはとても尊敬している偉大な僧がいて(空海さんです)、その存在を事あるごとに想っているけれど、その僧が開いた宗派の信徒としてどこかの寺院やグループにコミットしているわけではないこと。

 

  • 日本では儀式として生まれたときや年末年始は神道(お宮参りや初詣)、結婚式はキリスト教、葬儀は仏教というふうに、ごちゃまぜである人が多く、どれか一つの瞬間を見てこの人はこの教義の信仰者だと判断できるものではないこと。

 

  • イタリア人でクリスチャンのルームメイトと輪廻転生についてどのようなイメージで話(授業)を聞いているのかを話したときに、ルームメイトは肉体を持った「復活」の刷り込みがあるので、その感覚が違うのだろうと話してくれたこと。

 

 

物語をたくさん知ること

先に経験を書いたインドでの合宿生活のなかで、特にヨーロッパから来ている人たちの間で、聖書や神話のエピソード、哲学者や賢者の人物名が出てくるのを見て、自分にはその共通知識がないことに気づきました。

思想の共有のしかたについて、このときに初めて「物語」の存在を意識しました。

日本人同士であっても古事記や日本書記のエピソードを共通の喩えに引っ張り出すことは珍しく、どちらかというと民話に近いものを共有することが多いです。

 

わたし個人が様々な宗教の教典・経典・聖典を読んで学ぶことと、物語と思想の共有のしかたについて切り分けて考えていくようになったのは、このときの経験が大きく影響しています。

この日のヨガクラスでは、冒頭でギリシャ神話や西遊記の話をしましたが、自分が興味を自然に持った物語から少しずつ範囲を広げていって、比較宗教学的な視点で触れていく。現代的なやりかたとして、それがいいんじゃないかという考えを話しました。

 

 

還暦になったときに、自分の視点が落ち着いた状態であるために

この日は参加者が同世代くらいまでの人に見えたので、これからの学びのイメージも話しました。

世界はもうとっくに繋がっています。宗教や信条について推測・想像するための幅広い基礎知識は、これからますますごちゃ混ぜになっていく世界のなかでは、基礎体力としてあったほうがよいでしょう。

冒頭でギリシャ神話や西遊記の話をしましたが、いまからでも “自分が自然に興味を抱いた物語” から範囲を広げていって、宗教について知っていくスタンスをとっていくのがよいと思っています。

 

宗教は死生観との結びつきが強いので、年配の人が病気をきっかけに近づいていくことがありますが、現在のわたしは死生観に強い関心があるわけではありません。それより、なぜ世界に信仰というものがあるのかに興味があります。

これから年齢を重ねていくなかで、世界のニュースがさらに複雑化した状態で入ってきても、わたしにはわたしの見かたがある状態でいられるようにと思っています。

 

 

この日はこんな話をしました。