プルシャは見ただけ。プラクリティは見られただけ。ただそれだけ

サーンキヤ・カーリカー 第66節・その注釈で述べられていること 一方は「わたしは見た」と思って無関心になり、もう一方は「わたしは見られた」と思って活動をやめます。両者が結びついたとしても、創造の必要性は存在しません。 <「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>第65節で述べられた「生み出すことをやめ」の状…