まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

島崎藤村『破戒』をヨーガの視点で読む会(オンライン開催)

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こんにちは! ヨガのうちこです。

わたしが主催するオンライン読書会のお知らせです。
次回は2022年5月14日(土)に、島崎藤村の『破戒』で開催します。

未読の人はきっと、必ずや「大人になってから一歳でも若いうちに読んでよかった!」と思うはず、と思っての選書です。

今年の4月と5月を名作とともに、有意義な時間にしてまいりましょう。

 

2019年まで、関西と東京で小説を使ってインド思想の視点へ近づいていく読書会を開催していました。今年からそれをオンラインで再スタートさせました。
わたしが主催する読書会は、同じテキスト(文字列)を読んで個人の中で展開する思考(記憶や経験との紐付け、類推、無意識の判断・条件付け、義憤・私憤のはたらき)を、ほかの人の視点と照らし合わせることで確認できる、そういう場を目的としています。
その背景とコンセプトは、当日冒頭にわたしの経験とともにお話しします(ヨーガの心理学の学びかたの経験をお話しします)。

 

これまでの開催と再スタートについて

この読書会は2014年に関西でスタートしました。

その後2019年までの間にこの読書会を見つけてくださる人が増え、なかには「ヨガには興味がないのですが」と言いながら参加くださったかたもいらっしゃいました。

パンデミックを機に読書会は開催をせずにおりましたが、2022年からオンライン開催に変え、再スタートさせました。


この読書会は、もともとわたしがインドの道場で受けてきたディスカッション授業が発案の土台です。新たなディスカッション・タスクに入る前の黙想タイムなどは、完全にわたしの先生のやり方そのまんまです。

そんな経緯もあり、場を回す役割を担う主催者としては、ある程度共通の下地(身体を動かすヨガの時間の共有経験)があるほうが、オンライン上で進行しやすいです。
現在はコンセプトに対してオンラインでも品質を下げずにできる方法を模索しているところです。そのため、現時点で以下のかたを対象とさせてください。


以下のどれかにあてはまるかたの参加をお待ちしています

1)2017年以降に銀座・高田馬場のヨガクラスでお会いしたことがあるかた
2)地方開催クラス(新潟県、名古屋、神戸、広島など)で2回以上お会いしたことがあるかた
3)福岡、札幌のヨガクラスでお会いしたことがあるかた(この2箇所は1度しか行っていません)
4)まったくお会いしたことのないかたでも、ヨガスタジオあるいはヨガの練習の場を半年以上リアルで(=オンライン限定ではなく)運営・経営されているオーナーさんで、このブログ「まろやかインド哲学」や「うちこのヨガ日記」をご自身の楽しみのために読んでくださっているかた


上記に当てはまるかたは、以下実施概要・当日までのステップをご確認の上、こちらの参加フォームからご連絡ください。

<受付終了しました>

 

 

実施概要(終了しました)

  • 開催日時:2022年**月**日(**) TT時MM分〜TT時MM分
  • 開催場所:オンライン会議ツール zoomを使って開催します

        ※マイクとビデオをオンにしてご参加ください

  • 参加費:****円
    PayPay/楽天Pay/クレジットカード決済のいずれかでお支払いください。
  • その他:アーカイブは残しません。録音・撮影はご遠慮ください。

 


読書会の参加連絡〜当日までのステップ

1)参加連絡フォームから申し込み
  その際に「宿題」を受け取るタイミングも選択して下さい
 (アンケート形式の簡単なものですが、深く自分に潜った長文回答も歓迎! 『破戒』はそれに適した名作です)
  ↓
2)参加費支払い(受付完了)
  ↓
3)宿題提出 ※締切:5月10日(火)17時まで
  ↓
4)当日、読書会スタート

冒頭でヨーガの心理学の中にある、感覚器官・意識・記憶・認識の関係性の話と、読書会という形式をとっている理由を10分ほどわたしからお話ししたあと、みなさんからの宿題コメントをもとに進めていきます。

 

 

初参加をご検討中のかたへの、わたしからのメッセージ

当日は、複数のかたがあげてくださった要素・場面をピックアップし、そこで起こる心のはたらきについて掘り下げます。

宿題提出時にうまく自分の言葉が見つけられなかったことは、当日のディスカッションタイムで補足してください。ほかのかたの言葉や記憶からヒントを得ることもあるでしょう。

 

「後悔のない生きかた」って言葉にするのは簡単ですが、時代・地域・個人ごとにそれぞれの道徳観・倫理観があります。一筋縄ではいかない、多くのさまざまな葛藤があります。
この読書会は、沈黙が多くなっても大丈夫。そういうのは気にしないでください。
わたしも自分のことを話す時はとてもゆっくりですし、言葉に詰まりますし、沈黙も少なくありません。
ヨーガの視点を学ぶ上で「コンフリクトはチャンス」と、わたしの先生がおっしゃっていました。どうぞ構えずご参加ください。


わたしの課題図書の選定は、「無理矢理にでも読んでよかった!」と、きっと強く思っていただけるであろう作品を選んでいます。
このメッセージにビビッと来たかた(←古い?)の参加をお待ちしています。

 

 

最後に

 以下、物語の本筋には触れないように書いているわたしの『破戒』の感想です。

(ネタバレなしで書いていますが、参加予定のかたは、以下のページを読むかどうかご自身でご判断ください)

 

わたしからのお誘いの気持ちは、こんな感じでーす

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あんまり大げさに構えないでね♪

あなたはどう考える? とヨガの先生から問われたときのこと

先日、わたしが主催する読書会の冒頭で、初めてヨガを教わった先生の話をしました。
その先生は流暢な日本語を話す、インドのコルカタからやってきた先生で、客観的な視点から教えてもらう日本の歴史はとても興味深いものでした。(先生は昨年他界されました)


先生は政治や社会情勢についてよくお話をされていて、なかでも日本社会特有のあることについて、事件が起こるたびに「あなたはどう考える?」と生徒に訊いていました。

日本社会特有のあることというのは、

 

 


  責任能力を問えないという結論に着地する
  無差別殺人のような事件

 

 


先生は「また犯人の頭がおかしいことにして終わりにした。それでいいと思うか。あなたはどう考える?」と。


わたしはこのことについて、ヨガ教室に通い始めるまで考えることを避けてきました。
なんなら、”頭がおかしい” の定義がはっきりしてくることで、長期的に見たら安全性が高くなるのではないかとすら、ぼんやり思っていました。深く考えもせずに、犯人を別の生物のように見ていました。
この最初のヨガの先生が、わたしのそのような思考に気づかせてくれました。

 

その後わたしはインドへ行き、別の学校のティーチャー・トレーニングを受けました。
そこでは哲学のディスカッション授業が毎日あり、数ヶ月を過ごすうちに自己についてさらに考えるようになりました。
それまでのわたしのヨガは、なるべく医者にかからず健康でいるに越したことはない、強い身体で年齢を重ねていこうという意識で、心の仕組みのほうへはそんなに関心が向いていませんでした。
それまでずっと、ヨガの練習の後の心身の清々しさだけを理由にヨガを続けることができていました。

 


ヨガの心理学をインドで学んだのは、最初の先生のところでヨガを習い始めてから8年後のことでしたが、事件について個人の考えを問う先生から、ヨガを始めた時点で種を撒かれていました。


この話は、ずっと忘れていたことでした。
先日わたしが行った読書会の課題図書が「事件」を取り扱うものだったので、開催前日に急に思い出し、冒頭でこの話をしました。

やり残し(backlog)や集合的無意識とどう向き合うか

2020年に受けたオンライン講座の内容からの掘り下げです。
このシリーズは毎週1回の開催で、合計6回の講座でした。
シャルマ先生と話すのは1年ぶりでしたが、毎回のように現代の心理学者や僧侶の名前が出てきたため、2020年と2021年はこの講座のノートを追いかけるようにフロイトユングの本を読んでいました。(映画もおもしろかったですよ!)

 

このブログの「インド授業の小話」では、わたしの授業ノートの題材を取り上げています。
シャルマ先生の授業はわたしの英語力と予備知識では少しむずかしく、毎回あとから日本語の本を読んで理解を補う必要があります。

講義の中に出てくる人物名は、そもそも聞き手がそれを人物名だと知っているか、なんとなく聞いたことがないと推測できません。さらに、わたしのヒアリング能力では聞き漏らします。
先生の英語はインド訛りで、興が乗ってくるとそれがどんどん濃くなります。サッカーゲームが「そっかるげー」と聞こえたりして、途中でふと、「フットボールって言わないんだ」と気づく。授業中のわたしの頭の中はこのように、言語野が複雑にフル回転します。
同時にティーチャー・トレーニング時代のルーム・メイト(イタリア女子)から英語で「ちょっとー! 元気してたー? あたしよー!!!」とチャットでどしどし話しかけられるというティーンのような雑音もあり、とにかくわたしは受けている授業は、頭がてんやわんやです。

 

 

この講座のノートを見返すと、インドの聖人以外の名前では、フロイド、ユングカール・ロジャースアブラハム・マズロー、ティク・ナット・ハンといった人物の名前が登場しています。
わたしがヨーガの哲学を教わったシャルマ先生は「ヨガはセラピーだから」の背景を、いろんな角度からユニークな話の流れで教えてくれる先生で、このことについては「うちこのヨガ日記」の以下の後半で少し触れました。

 

 

前置きが長くなりましたが、このように様々な心理学者の考え方と照らし合わせながら「ヨーガはセラピー」であることを教えてくれる先生が、こんな話をしてくれたことがありました。

やり残し(backlog)や集合的無意識、very complexed phenomenon(メンタルの超複雑化)とどう向き合えばいいか、という話からはじまる授業でした。

 

この授業のなかで、先生がこんなお話をしてくれました。

サイコセラピスト(心理学者)は、二人の人間の間に、なにか「道具」をおくことがあります。
たとえば、カール・ロジャースは「無条件の愛(unconditional love)」をおきました。
それでクライエントは、自分らしさ(own way of thing)を見つけます。
【この部分について、先生は何度かの繰り返しのなかで unconditional regard love という言い方もされていました】

 

フロイドも、「道具」を使いました。カール・ロジャースはフロイドのサイコセラピー(精神療法)に新しいアイデアをもたらしました。
サイコセラピストはファシリテーターで、このファシリテートが「スペース」*1をつくるのです。


ヨーギーは、
ノー・ジャッジ(決めつけない)、ノー・リアクション(反応しない)の瞑想を道具にします。

 

この講座は串刺しテーマが「カルマ」なので、授業ではここからエゴ(i-ness)と do-re-ship あるいは、”エゴについてその所有者意識を持っていること”、という話へ進んでいったのですが、これはこれで壮大なトピックなので、このテーマでの書き起こしはここまでにします。

 

最後に。

今日のトピックの理解を助けてくれたのは、2021年12月に読んだこの本でした。


カール・ロジャースの精神療法について知らないと、今日書いたノートの部分を言語化できないと思ってきたなかで、たまたま書店で手にとって買ったこの本が大きな助けになりました。
他人の話を聞く方法を教えてくれる本でありながら、同時に自分の声を聞けないマインドについても教えてくれます。(著者はカール・ロジァース研究所に留学されていました)

 

今日書いたトピックの部分で、シャルマ先生のお話の引用部分にカッコ書きで記載した【この部分について、先生は何度かの繰り返しのなかで unconditional regard love という言い方もされていました】という部分の regard がずっと気になっていたのですが、東山紘久先生の本を読むことで、それは「LISTEN せよ、ASKするな」ということかと、その理解の参考にしました。

*1:複雑化してギュッと渋滞した精神にスペースをつくる、という意味とわたしは理解しましたが、「客観視の余裕」というような意味かもしれないとも思っています