まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

いま全部わからなくても、personal journey のなかでわかってくる

インドでの授業のメモからの書き起こしです。

わたしはこの頃500時間のトレーニングを受けており、前半は200時間のトレーニングのメンバーと一緒でした。

今日の書き起こしは、その人たちがコースを修了していく頃の授業にあった内容です。「いま全部わからなくても、personal journey のなかでわかってくるので学び続けなさい」というお話がありました。

 

 

この日の授業で、以下のこともお話しされていました。

 

  • このことは、ヨーガ・スートラでは第121節~30節で言及されています
  • 23節は重要なスートラです
  • 神に献身するための精神の修正、身をまかせる態度について述べられています
  • ここを間違えると、横柄になったり、高圧的になったり、柔軟性のない過剰に厳格な堅物になったりします

 

 

さらに、こうもお話しされていました。

ヨーガ・スートラ自体に効力があるわけではありません

 

これはわたしの場合、かなり後になってわかってきたことでした。

ヨーガ・スートラは人生の格言集として、過去・現在の自分を鑑みて「こうありたい」と思う自己を見直す際に支えになるタイプの書物であることが、10年以上経ってからわかりました。

(この書き起こしの元になっているノートは11年前のものです)

 

 

 

この話に関連して「abhyasa-yoga」について言及された第129節を紹介してくれました。

この節には、日本語化する際に「abhyasa-yoga」の要素をどちらに寄せるかで訳のニュアンスや与える印象が割れます。

 

  • 繰り返し修練をする
  • 神への献身として修練をする

 

前者寄りの訳を添えます。

もしあなたが心を堅く私に集中することができないなら、常修のヨーガによって私に達することを望め。アルジュナよ。【上村勝彦 訳】

もし汝、その心をわれに集中することを能(あた)わざれば、常修ヨーガにより、われに到達することを望め、富野征服者よ。【辻直四郎 訳】

されど、心を確(しか)とわれに集中しえざるに、強運の士よ、そのとき、反復実修の修法(ヨーガ)にて、われを得んと願うべし。【鎧淳 訳】

 

 

わたしはこの授業のあと、202211月~20238月の間に、10年以上ぶりにじっくりゆっくり一節ずつヨーガ・スートラを復習しました。

この復習を経てあらためて当時の授業のノートを読み返してみると、先生がその日の話の組み立てに沿ってヨーガ・スートラに関連づくバガヴァッド・ギーターの節を紹介していたことがわかり、その日はもうすぐそのトレーニングを離れていく人に向けた応援の内容であったことも、あらためてわかりました。

 

 

わたしが受けた授業は英語でした。ノートに「personal journey」とあるところを機械翻訳にかけたら、内容と少し違うニュアンスになったので、タイトルは一部英語のままにしました。

personal journey」を丁寧に訳すと、「これから人生で起こることを乗り越えたり振り返ったりするなかで」というくらい、長い文章になります。

 

この授業を受けてから10年以上が過ぎ、その間にわたしにもさまざまな問題に直面し、その都度なんとかやってきました。そのあとであらためてヨーガ・スートラを読むと、「personal journey のなかでわかってくる」「ヨーガ・スートラ自体に効力があるわけではない」と話してくれた先生の意図が身にしみます。