まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

肉体は魂の乗り物であり、城でもある

わたしはヨガクラスでいつも同じ喩えを使います。
ヨガに関する書物を英文で読んでいると、vehicleという表現が使われていて、それは肉体は魂の乗り物と捉えるから。この肉体から次の肉体に移る「乗り換え」がある、輪廻思想がベースになっています。

 


ヨガ・ニードラのガイドのときには、「身体をお城や寺院のように捉えます」と言います。
五感から入る情報で不要なものを受け取らないまま身体を横たえ、頭から胸へ、本殿のある場所へ認識を移します。

 


覚醒中の日常の瞬間は頭に意識が所在することが多いので、覚醒でもなく熟眠でもなく夢眠でもない意識の状態(くつろぎの状態)へ移行していくために、意識の所在地を移します。
瞑想のガイドでは、このようにお城や寺院のように捉えることを伝えます。
感覚器官の穴の数をお城の門に喩えたり、ヨーガの古典には定番の喩えがいくつもあります。

 

身体をコントロールし、その主である心をコントロールする。この段階を踏んでいく瞑想のガイドのときには、ヨーガの古典の比喩が欠かせません。
なので毎回同じことを言うことになります。
自分の存在が「動く城」であることを目指す。このありかたは、「アンガーマネージメント」よりも心の視界の幅・奥行きともに広いもので、わたしはこの考えがとても気に入っています。
人生は長いから。

 


どこにいてもくつろげることを可能にするために、心の居場所の最小単位である身体を整えたり、掃除(浄化)をします。
身体を鍛えるエクササイズは建築の作業に近いもので、ヨガの場合はさらに身体を心にとって住み心地の良い清潔な場所にしようという観点で換気をしたり塵や埃をとる、そういう要素が根本思想として潜んでいます。
なので、鼻うがいや腸内洗浄のようなクリヤと呼ばれる浄化・クレンジングのメニューもあります。