インドで毎朝プラーナーヤーマの実践、午後に理論や哲学を教わっていたときのこと。
午後の哲学の授業の時間に、シャルマ先生による
「プラナヤマの練習で大切なことはなに?」
「What is yoga, what is not yoga?」
という問いかけからクラスが始まったことがありました。
その頃は毎朝さまざまな呼吸法を教わっていましたが、「わたしたちが朝実践しているのは、プラーナーヤーマ・システム」だ、と。
ハタ・ヨーガのプラーナ・ヤーマ・トレーニングやブリージング・エクササイズは、パタンジャリのヨーガ・スートラにあるプラーナー・ヤーマとはちょっと違う。
という流れから、ヨーガ・スートラの2章49節を引きつつのお話でしたが、そのあとに
ブリージング・エクササイズで体のダメージはリカバリーできるけど、
心のダメージはむずかしいよね。プラーナーヤーマが有効なんだ。
とおっしゃったのがなんとも明快だったなと、いまノートを見直しながら感じています。練習で感じる瞬間を紐解いていくと、「たしかに」と思うのです。
わたしはこの十数年の間に、心にものすごくダメージを負っているはずなのにアーサナはいつもよりも調子がいいのではないかと思うようなバランスを感じたことがり、身体側から引き上げられたような経験を何度かしています。そのとき、心身には「調えよう・整えよう」とするはたらきがもともと備わっていることを、ありありと感じました。
プラーナーヤーマは「調息」と訳されますが、そこに自然に戻すためのことをしているように感じるとき、プラーナーヤーマなんですね。
いまの日本語は「ととのえる」という漢字の変換が「整える」とするのが主となっているので、感覚的には「整息」と書いたほうがしっくりいく。
調子をととのえるというよりも、比率をととのえる感じがして、より実態に近いように思います。