まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

ヨガの教えが人生に生きると思っている事例。「創造・維持・破壊」のこと

今日のヨガクラスの前に話したことを書きます。

わたしのヨガクラスで定期的にお会いするかたや別の仕事場でお会いするかたを見ていて、半年ほど前に発表された「約4割の人が感染を経験」(関東の都心の話です)という構成比が、わたしの周辺では実態に近い気がしています。

今日やその前後のヨガクラス参加のみなさんの構成比を見ても、3割くらいの比率です。

 

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COVID‑19に罹患したり、練習から離れなければならない状況を経たり、もっと大きなライフイベントでいえば仕事を辞めなければいけなくなったり、生活を大きく変えることになったり。

そういう、これまでやってきたことを再構築する場面は人生のなかに何度もあって、そのたびにわたしは、ヨガをきっかけに「創造・維持・破壊」という捉え方を知ることができてよかったとつくづく感じています。

このときに、三大神とその信仰地域のダイジェストもお話ししましたが、長くなるので割愛します。

 

 

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これからは男性も同じようになっていくと思いますが、女性の場合は構造上それをより多く経験するように身体も社会もデザインされていて、だからわたしは、現代ではヨガが女性に多くフィットしているのではないかと考えたことがあります。

 

 

ものすごく昔にさかのぼればヨガは男性のもので、12年の修行で成就することが目安とされ、家庭教師のように(ベスト・キッドMr.MIYAGIと少年のような感じで)伝授され、その後の家住期で一家の主となる人間の義務を果たすことも想定されていたものです。

 

 

なので現代にも残っている教えのエッセンスには、普遍的なものが生き残っているとも言える。

そういう貴重な教えのなかで覚えているものがいくつもあるなか、わたしは「創造・維持・破壊」というサイクルを身近なものとして見る経験をしたことがあります。

 

 

わたしがヨガを習ってきた場所はリシケシという地域で、わたしの通っていた道場はガートといってガンジス川の横の階段になった土手にありました。

そこでは数年連続して洪水があって、そのたびに床上浸水をし、道場は床を張り替えていました。そのときに先生が道場の画像とともに「破壊は創造の始まりだからね~」というコメントをFacebookに投稿しているのを見ました。

同時期に、その道場と同じ土手沿いにある寺院のシヴァ神像もプカプカとガンジス川を流れて下っていて、それも2年連続で見ました。

「また流れて行っちゃったね~。洪水なんだから、そうだよね~」という感じで画像とコメントが何人ものインドの人から投稿されていて、それが由々しきことでも悲しいことでもない価値観であることに良い意味で驚きました。

 

 

 

  まあ、そうなれば、そうなるんだよね。

  さて、またやりますか。

 

 

 

という感覚。

こういう世界の捉えかたを知ることができたのは、ヨガを学んでよかったことの大きな理由の一つです。

 

 

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という話を、身振り手振り満載でお話ししました。