まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

講座のおしらせ「現代小説読書会『すべて真夜中の恋人たち』をインド哲学視点で読む会」(神戸開催)

これまで小説を使った読書会では夏目漱石の「坊つちゃん」「虞美人草」「三四郎」「それから」「坑夫」「こころ」で読書会を開催してきましたが、今回は川上未映子さんの現代小説「すべて真夜中の恋人たち」で開催します。


この作品は恋愛小説という扱いになることがほとんどですが、実際に読むと「他人とかかわりながら生活を立てていく自己」「内面の思考と妄想にとらわれる自己」のありかたが、義務とは…、任務とは…、信頼とは…など、カルマ・ヨーガの問いと重なるものばかり。ふだんヨガの練習をされている人には、その身体表現にもハッとする部分が多々あるかと思います。そしてこの小説は12月にぜひとも誰かと語り合いたくなる、そんな物語でもあります。


これまで夏目漱石読書会、バガヴァッド・ギーター読書会に参加されたことのある方はもちろん、現代社会のあれこれのなかであらためて自身の価値観を見つけてみたい人や、同時代を生きる人たちと意見の交換をしてみたいかたは、どうぞモジモジせずご参加ください。初参加しやすい作品です。
ひとりでのぞき込むのは少し躊躇してしまう自我の海へ、みんなでそっと近づいてみる、そんな時間です。


当日はみなさんから事前にいただく宿題への回答をもとに、ほかのかたと認識・意識を共有していくテキストを作成し、それをもとに進めていきます。
進行の最中に、話題となった場面にあるこころのはたらきかたを、インド思想のなかに出てくる概念・視点で補足していきます。

 

  • 開催日時:2017年12月9日(土)14時00分~16時45分
  • 開催会場:神戸三宮駅から徒歩12分のスペース(お申し込みいただいたかたへご案内をお送りします)
  • 参加費:3500円。当日会場でお支払いください。
  • 持ちもの:筆記用具、「すべて真夜中の恋人たち」
  • 事前準備:お申し込みをいただいた方へ、簡単な宿題をメールでお出ししますので、12月2日(土)24時までに返信をください。むずかしいことは問わない、ちょっとした感想くらいの宿題です。(←楽しいよ)

 

▼申し込みはこちらからどうぞ

参加申し込みフォーム(2017年12月 うちこの関西生ブログ)

 

小説を使った読書会形式での講座については、こちらに開催理由を書いています。今回は川上未映子さんの小説で開催しますが、題材にする理由の年表以外の部分はほぼ同じ理由です。

 

▼以下は、事前に読むかの判断はお任せします。わたしが何度も読んでいるこの小説の感想です。

 

▼以下も、事前に読むかの判断はお任せします。東京で勤労感謝の日のイベントとして、プライベート仕様で開催した読書会のログです。

 

▼この読書会への参加申し込みはこちら

参加申し込みフォーム(2017年12月 うちこの関西生ブログ)

 

ill-willの感情が論外視されがちである、という認識

夏目漱石の小説を題材に、インド思想の心理学視点で「心」を掘り下げていく時間でお話したこと。ここでは過去にインド人のヨガの先生から過去に聞いた話を含めて書き起こします。
この話をしたのは、「坊つちゃん」という小説に登場する主人公のさまざまな「怒り」を分解するテーマで話をする冒頭でのアイス・ブレイク演習。日本語で共有される「怒り」の種類にはない、別の概念の話をしました。
サンスクリット語で「怒り」を示す語では、バガヴァッド・ギーターにもよく出てくる「クローダ」などがありますが、それ以外の語をテキストで紹介しながら話しました。

これはいつもエクササイズのようにやるのですが、ほかの言語の世界に触れるまえに、わたしたちの日常にある怒りの種類の単語をまず引っ張りだします。


このように。

 
これらはまだ、なんとかなりそうな怒り。
でも怒りには、なんとかならなくなってしまいそうな領域に踏み込んだものもあります。

日本では、凶悪犯罪が起こると「責任能力」の有無を確認する、そういう流れをニュースで見ます。
これは、日本に長年住むインド人のヨガ講師のかたがすごく不思議がっていること。いわれてみてたしかにそう思ったのですが、日本では「そういう感情」を「異常」という前提にして世の中が回っているところがあります。
日本語は心のはたらきかたをあらわす動詞がとても少ないので、知らない感情が異常と認定されやすいところがある。わたしはサンスクリット語にあまりにも多くの語があることを知ってから、そんなふうに考えるようになりました。
たとえば怒りでも

 

  • ヴィアーパーパーダナ(vyapapadana)=犯意(殺意に到る級)
  • イラス(iras)=犯意、悪意(上のよりも少しマイルド)
  • ダウルジャンニャ(daurjanya)=悪行をする意向(さらにマイルド)


というふうに、犯罪に結びつく過程に近い怒りを示す語があって、英語でこれは「ill-will」と訳されます。英語のほうがわかりやすい感じがします。
この「ill-will」のニュアンスを含んだ恨みの感情に到るまでの怒りのグラデーションは、日本では裁判所でしか分解されないというか、あまり語られることがありません。ミステリー小説の中にはたくさんあります。


以下のリストアップからもわかるのですが(同じ写真をもう一度)

 

日本語の怒りの単語は、平穏・友好的な関係を乱すときに発生する細かな怒りの表現バリエーションが豊富。わりと粘度の低い、こじれすぎるまえに激するものが多い。
他国の言葉と比較していくと、自分たちが普段どんな価値観で人間の感情の善悪を定義しているかが見えてくることがあるのですが、日本は宗教観が薄いためか「悪魔的」な恨みの感情については、少し理解が遅れているところがあるように思います。

「光り輝く」にもいろいろありまして

これは、たまに背景の思想も含めながら説明をする拡大版・ハタヨーガのクラスで話したこと。
その内容に、解説を加えて書きます。その日は呼吸法のカパーラ・バーティをやりました。
この「バーティ」には光り輝くという意味がありますが、あまり端的に話してしまうと、強い全能感を渇望した人にとっては食いつきポイントになりやすい。わたしはヨガのこういう側面をリスクとして捉えているので、それなりに説明を加えられる流れのときだけ、クラスの構成に入れています。

 

わりとゆったり説明するクラスでは、「○○にも、いろいろありまして」というトーンでお話しています。
今日はそのなかでも「光る」「輝く」のこと。

日本語でも、明るいとか、輝いているとか、パッと華やぐとか、ぎらついているとか、聡明だとか、そういうふうに人の状態を表現することがありますが、それと似ています。
たとえば美容に関する表現では「内面から輝く」「内側から輝く」のような表現をよく目にします。自己を知り、知性も兼ね備えた輝き。この場合、ヨーガ周辺の教典によく出てくる語では「プラカーシャ(prakasha)」が似ています。
カパーラ・バーティという、横隔膜を使った呼吸法の名前になっているバーティも「輝く」なのですが、この場合はカパーラが頭蓋骨をさしているので、語の羅列では頭蓋骨が輝くという訳になります。練習を通じて感じるものとしては、頭に酸素が回って頭がはたらきだして、すっきりと頭をはたらかせるエンジンがかかる。鏡を拭いて曇りが取れて光っていく感じと似ています。

 

このほかに、シヴァ信仰色の強いハタ・ヨーガなど神話学的な要素の絡むものには、「ヴィラサナ(vilasana)」という語が出てきたりします。これもまた輝きです。
これは神の輝きなので、もうまぶしいほど。フラッシュのようです。ぎらっぎらの金ぴかの、豊臣秀吉が求めた力に似た、異様な活動力を含んだああいうものを想起させます。

 
このように、微妙にニュアンスが違うのと、やはりインドはインドの神話学があるので、そことも連動している。日本人が日本人に伝えるヨーガのクラスでは、「"光り輝く" にも、いろいろありまして」という話のできる場でないと、わたしはうまく話すことができなません。

 

 パッとしないということはない。

 でも、他者の目を刺激するほどぎらついてもいない。

 

こういう、安定したほんのりとした輝きが絶えない状態を、わたしは現実的な着地点として、理想の状態ととらえています。
自ら輝かず、ただひたすらに「照らしてくれ!」という印象を周囲に与えてしまう「パッとしないのに、ぎらついている状態」を脱するために、まずは自分の頭の中の曇りをとっていく。そこから、内面からの輝きへ進んでいく。

光り輝くというのは、すごく時間のかかることだと思っています。