まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

ビンゴでギーター 2章47節

(※2016年に東京で選定者が増えたため加筆しアップデートしました)

この2章47節は京都で1名、神戸で2名、東京で6名の選定者があったほか、共感する人の多い節です。選んだきっかけとして、こんな理由をお話してくれました。

  • いま非正規雇用で働いています。去年ある時期、ボリューム的内容的にも「わたしじゃないな」という仕事を引き受ける状況だったのですが、そのときに「やれっていわれればやりますけど」というエンジンのかけかたでやって、でも「なに?」と思う気持ちや、安く使われている気持ち、踊らされている気持ちがありました。この節を読んで、お金をもらうとか褒めてもうとか、そういうことを求めないということを考えました。(東京・Nさん)
  • いま治療に専念していて、精神的にきつく、毎回つい結果に執着してしまうので。(京都・Hさん)
  • 子供のころには「親の期待に応える=結果」、長く営業職についていた頃は「成績を上げる=結果」という生活を長くしていて、しんどかった。ヨガを始めたきっかけもそこにあって、「結果を求めなくていい、自分そのものでいい」という感覚が心地よくて今に至っている。長い目で見て、いままで自分が積み上げてきたこともいまの自分になっていると思う。でもそれにもまた執着してはいけない。はじめてギーターを読んだときに「執着するな」というメッセージがとにかく心に残った。(神戸・Mさん)
  • ふだん行動したり生きている間に、絶対に結果を気にしながらどんな行為もやっていて、行為自体に意味を見出していることがほとんどないなぁと思って。ついつい結果が欲しくなる。【⇒損すると、悔しいでしょ(うちこ)】⇒そう! 損をしないように生きていることが多い。(東京・Kさん)
  • 2年前にヨガの勉強で先生からレポートの宿題を出されたときのテーマが「無執着で仕事をおこなう」でした。そのときに先生からいただいたコメントは「『無執着』は執着しないことですが、無執着にも執着しないことも含めます」という深いものでした。(神戸・Mさん / 京都より参加)
  • これまでわりと好きなことをしてきたなか、今はあまり好きではないことも仕事の中にあります。以前はこの状況について、過去と比べてどうなのだろうと思っていたのですが、あるときから「これも修行だ」と捉えられるようになり、そのときの感覚とこの節が似ているので選びました。(東京・Sさん)
  • 夫がパソコンの操作に困りヘルプを頼まれたときに、いつもエラそうな態度の夫に対して、落ち着いて対応できるようになっていた。いままでは「こうしたら?」と言うと「それはもうやった」と却下するような態度なので、今回は「こんな検索ワードで調べたら情報が出てくるから、やってみたら?」と提案した。穏やかにことが進み、しばらくしたら「ありがとう」と言われる結果になった。あとで振り返ると、いままでであれば「どうせ却下されるから」と思ってこちらも応戦するような態度になりがちだった。でもこのときは、「提案はしてみる」という感じで、「無為に執着してはならない」ということができていたのかもしれない。このできごとと、ギーターのこの節が重なったので選びました。(東京・Yさん)
  • この節を読んだ時、映画「シン・ゴジラ」で観たシーンを思い出しました。自衛隊ゴジラに全ての弾を撃ち尽くしたものの失敗、作戦本部は壊滅。それにも関わらず作戦本部長が「気落ちは不要、攻撃だけが華じゃない。俺たちには逃げ遅れた人を避難させるという重要な役割がある。住民の避難を急げ!」と言う場面。
    許されざる失敗のあとでしたが、作戦立案者(クリシュナ)の職務を精一杯遂行した上での結果なので失敗に執着せず、次にやるべき職務を遂行する。ギーターは初めて読みましたが何ともフィットするシーンでした。(東京・Iさん)
  • ギーターを初めて読みました。ちょうどそのまえに夜と霧」という本を読んだばかりだったので、「こういう宗教の解釈があるのか」と感じ、その本(夜と霧)のことを思い出しました。その本のなかに極限の状況においても自分を卑しくさせないまともな人と、そうでない人しかいないというようなことが書いてあり、その「まとも」の定義のようなものと似ていました。その瞬間瞬間を生きる力のようなものです。
    「あなたの職務は行為そのものである。決してその結果にない。」のところが、その本を読んで今こうありたいと思っている自分にピタリときました。(東京・Uさん)

 

京都でこの節を選んだHさんの理由を聞いて激しくうなづいている人がいたので、理由を聞いてみました。こんなことを思い出したそうです。

  • 先月、仕事で後ろから横からバンバン弾が飛んできて、泣きそうになりながらやっていた。そのときのことを思い出しました。(京都・Mさん)

 

 

さまざまな局面に刺さってくるこの節を、いろいろな訳で読んでみましょう。 

あなたの職務は行為そのものにある。決してその結果にはない。行為の結果を動機としてはいけない。また無為に執着してはならぬ。

上村勝彦 訳

結果を求めることありきで行動を考えるな、と。

この訳は、最後の「無為に執着してはならぬ」が少しいまの日本語感覚だとわかりにくいかもしれません。

ここは「akarmani」⇒「a(not)」+「karma(行為)」です。わたしははじめ、「無為」という語には「無為自然」のよいイメージをもっていましたので、「自然に起こる執着に身を任せてはならぬ」という誤読をしました。

 

別の訳も見てみましょう。

君には 定められた義務を行なう権利はあるが

行為の結果については どうする権利もない

自分が行為の起因で 自分が行為するとは考えるな

だがまた怠惰におちいってもいけない

田中嫺玉 訳

 最後の部分が「怠惰におちいってもいけない」となると、「結果が自分のものではないからといって、ふてくされちゃぁいけないよ」というタマス性に対する注意が読み取りやすくなります。「行為の結果については どうする権利もない」というのも現代的な感覚で入ってきやすいです。

 

おまえの関心は行為のみにあり、決して行為の結果にあってはならない。行為の結果を、おまえの動機としてはいけない。また、おまえは無行為に執着してはいけない。(宇野惇 訳

「関心は行為のみ。結果にあってはならない。」と、かなり強いメッセージです。この節に励ましを感じる人には、この力強さがたまりませんね。 

 

さて。英文だと、どうなるでしょうか。

みなさん、結果を英語で言うと、なんですか? という質問をすると、ほとんどの人が「result」と答えます。「結果」にもさまざまなケースがあると思うのですが、ここに多様性を感じさせるふくらみのなさは、日本語の感覚、日本語的思考の特徴です。

英文の訳を見てみましょう。

You have a right to perform your prescribed duty, but you are not entitled to the fruits of action. Never consider yourself the cause of the results of your activities, and never be attached to not doing your duty.

http://vedabase.net/bg/

成果への期待は「fruits」、行為の結果は「result」という微妙な違いがあります。

原因と結果(因果論)はインド哲学の中でよく出てくる概念ですが、英語で説明を読んでいると、結果が「result」ではなく「effect」と訳されているものを見かけます。

わたしはこの「effect」という訳にハッとしたことがあります。

日本語の感覚では「結果」というと、ゴールした後のイメージしかなく、まだゴールしていない「影響を受ける」段階は結果のなかに含まれない感覚があります。

 

成果の定義を明言せず「よい影響を与えたい」という大義名分や「参加することに意義がある」という動機づけすらも執着であると、そこまで言われているような気がします。「参加することに意義があろうがなかろうが、参加する」「求められていようがいまいが、やる」。バガヴァッド・ギーターのなかには、要約すると「いいからやれ」のひと言に尽きるものが多いですが、この節はかなり究極的な言い回しにも関わらず、励まされる人が多い。圧倒的な行動力を導き出してくれる節です。