まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

その日の朝、はじめに見たものが大切。手のひらに神を見るマントラ

アンキット先生のチャンティングのクラスで唱えたマントラに、格別に好きになったものがありました。
朝のマントラ(Early Morning Mantra)として教えてもらった「Karagre Vasate Lakshmi~」ではじまるマントラです。

両手のひらを見つめながら、以下の神様を想います。

ヒンドゥーの神様たちですが、ラクシュミーは仏教になると吉祥天、サラスヴァティー七福神のメンバーでもある弁天様、ゴーヴィンダはクリシュナの牛飼いとしての異名です。
これらの神様の役割とあわせて先生がお話してくださったのですが、「ラクシュミーは富を司る神様です。お金はこうやって数えますね」と指先をこすりながら教えてくれました。「今日の仕事がうまくいきますように…」と。
サラスヴァティーは弁財天の「財」のほうではなく「弁」のほうで、先生が口に手のひらの中央を当てながら「正しく話せるように、正しく表現ができるように…」とお話されていました。
ゴーヴィンダについては「ここは手の下、ベース」とのこと。とくに説明がなかったのですが、クリシュナは万能なので言うことがないのかもしれません。

 


先生が「その日はじめに見るものが大切」というお話をされていて、以来わたしは毎朝手のひらを見るようにし、このマントラを想っています。お天気がどうかなとか、いま何時と思う前に、自分の一日について想うということをしたことがなかったことに気がつきました。
まだ完璧に唱えられないのですが、指先を見てラクシュミー、中間を見てサラスヴァティー、手の付け根にゴーヴィンダというのは覚えているので、まずは想うことからはじめています 。


わたしは朝にヨガの太陽礼拝をしていて、それだけでも以前よりずいぶん体調のよい日々を送れるようになったと感じていたのですが、起きて朝一番に目にすることのできるものを通して神を見るってすごいアイデアだなと、その祈りのシステムのありように感嘆しました。
「手を見る」というと石川啄木の暗いイメージがあったのですが、明るい気持ちで手を見るようになりました。

 

この一曲目です。子ども向けなので絵だけで意味がわかります。


Mantra for Kids for Daily Routine | Shlokas for Kids Vol: 2 | Bhakti Songs

インド三大神の覚えかた「G・O・D」

チャンティングのアンキット先生が、「グルル ブラフマ、 グルル ヴィシュヌ…」ではじまるマントラの説明中にちょっとしたTIPSを話してくれました。1192つくろう鎌倉幕府、のようなもの。
ブラフマー、ヴィシュヌ、シヴァの三大神の役割の覚えかたは「G・O・D」だよと。

 

 G:Generator

 O:Operator

 D:Destroyer

 

創造神(ブラフマー)・維持神(ヴィシュヌ)・破壊神(シヴァ)。
なんかシヴァ神だけプロレスラーになってる…と一瞬思いつつ、「Oh, I see.」と頷きながら授業をうけました。
一対一で練習するときは、こういう瞬間に気が散っているのが先生にバレやしないかとドキドキします。

食べている時間は、食道をふさいでいる時間

シャルマ先生が食事について、しょっちゅう食べるのはよくないという話をされていました。
理由はとてもシンプルで


 食べている瞬間=食道をふさいでいる


という考えかたです。

ヨーガのクリヤで鼻や喉の浄化法を練習しながら座学の時間にこのような話があり、「管をクリーンに保つこと」についてとても意識が向くようになりました。
喉を酷使しないというと大声をたくさん出さないことを想起しますが、頻繁に嚥下しないというのも同様と考えると、話すことも含めて「喉を使うこと」全般について意識的に行うことや言葉を選ぶことの重要性を感じます。

 


今日の話は以下の話と同じトピックで先生がお話されていました。