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まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

プラクリティは、微細すぎて見えない

サーンキヤ・カーリカー 第8節・その注釈で述べられていること

微細なために、それは知覚されません。
それが存在しないからではありません。
結果を通じて、それは知覚されます。
マハーなどの結果は、プラクリティとは異なるものであり、また似ているものでもあります。

 

 <「サーンキヤ・カーリカー」内でのこの節>

一つ前の第7節でリストアップした項目の5つ目の「微細(suksma)」について掘り下げている、プラクリティ登場! の節です。この節から第16節まで、プラクリティの解説が続きます。

目に見えないけれどもそれは微細すぎるからであって、実際は存在するもの(プラクリティ)が活動している。という説明がはじまったところです。

 

<日本語化の意図メモ>

「細かすぎて伝わらないモノマネ」というおもしろい芸がありますが、あれは細かすぎるけれども明らかに特定の誰か(=結果)に向かって同じ性質を見せることで成り立っています。そこに確実にある「同じ性質」を認めているので、人は笑います。

この節で述べられていることはそれと似ていて、「完全コピーじゃないからといってそこに芸がないわけではない」という状態、知覚されにくくてもそこに存在するものについて述べています。

マハーなど、のとことはあえてサンスクリット語のままにしましたが、平たく言うとここは「心の現象」です。心は目に見えないけれど、あるよね、ということです。

 

<用語メモ>

微細なため、微細さゆえに(sauksmyat)
知覚のない、認識のない(anupalabdhi)
存在しないからではない(na'bhavat / n+a+bhavat n=not a=not)
結果を通じて(karyatas)
知覚、捉えたものとして、理解したものとして(upalabdhi)
マハーなど、大なるものなど(mahadadi)
結果、行為、はたらき、そうなる(karya)
プラクリティ(prakrti)
多形の、多くの、変化した、違った、異なる(virupa)
形をもつ、同形の、均一の、似ている(sarupa)

ここでの訳は「プラクリティ(発音は "プラクルティのほうが近い)」を無理に日本語化しないことによってサーンキヤを理解していこうという試みなので、プラクリティはプラクリティと表記します。

 

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