まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

夏目漱石の小説をインド哲学講座の題材にしている理由

2015年の夏の関西開催で、夏目漱石作品をもともといくつか読んでいて初参加をされたかたから「なんで夏目漱石なんですか?」というシンプルな質問をいただきました。
そこで作成したテキストに補足を加え、主な理由をいくつか紹介します。


二元論を超えようと模索している

たまに勧善懲悪っぽい斬りかたの場面もありますが、善悪や白黒をつけずにグレーのグラデーションの範囲で心の動き・はたらきをつぶさに切り取っていく、丁寧な心理描写がされています。複数の目で読むことで、同じ文字列でも各自が自分の中から引っ張り出してくる過去の記憶や印象の刻み方を再認識することになります。



漢字のあてかた、書き分けが緻密

瞑想と冥想」を書き分けたり、「反面と半面」を書き分けたり。そのときの人物の心の成り立ちにあわせた細かな選択がされています。



トリグナの描写のような表現が見つけられる

たくさんありますが、一例


運動をしてドーシャの乱れを解消したり、しなかったりする例

  • 三四郎は癇癪を起こして教場を出た。そうして念のために池の周囲を二へんばかり回って下宿へ帰った。(三四郎
  • その日はなんとなく気が鬱して、おもしろくなかったので、池の周囲を回ることは見合わせて家へ帰った。(三四郎

 
 
 
 

歴史と関連人物

組織名・人名 年代 概略
東インド会社 1600~1874 いまのコルカタを拠点にイギリスがインドを植民地支配していた
ウィリアム・ジョーンズ(英) 1746~1794 ペルシア語を介さずに直接サンスクリット研究。『マヌ法典』翻訳
パウル・ドイセン(独) 1845~1919 ウパニシャッドをドイツ語に翻訳。「吾輩は猫である」に登場する独仙のモデルといわれている
釈宗演 1860~1919 シカゴ万国博覧会 (1893年)『万国宗教会議』に参加。インド経由で帰国
スワミ・ヴィヴェーカーナンダ(印) 1863~1902 シカゴ万国博覧会 (1893年)『万国宗教会議』に参加
岡倉天心 1863~1913 タゴール、ヴィヴェーカーナンダ等と交流。『茶の本』執筆。東京藝術大学幹事
夏目漱石 1867~1916 明治27年円覚寺の帰源院に投宿して釈宗演老師に参禅
鈴木大拙 1870~1966 釈宗演の通訳を務める。1950年より1958年にかけ、アメリカ各地で仏教思想を講義


仏教・禅以外の夏目漱石インド哲学の関連性については、「漱石文学の思想 第二部 自己本位の文学 今西順吉 著」にいくつか興味深い考察がありますが、作品から直接的に得られる関連性としては「パウル・ドイセン」の存在があります。わたしが読む限りでは、「吾輩は猫である」の八木独仙・「三四郎」の広田萇(広田先生)のセリフには、かなりウパニシャッドにある思想の色が濃く見えます。というかインド人に見えます。広田先生はもはやシャンカラにしか見えません。