まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

質問を口にする前に自分に問いかける

10代の学生さんもいる場で講座を行ったときのこと。その日は初対面の人ばかりだったので「もし質問があれば、今日はこのあとまだここにいますのでどうぞ訊きに来てください」と伝えつつ、あわせて以下のことを話しました。

----


もし質問したいことが起こったときは、自分の中で以下のふたつのことをまず自分に問う。これをすると、意識の整理ができます、と。

 

  1. その質問をする目的。なんのためにするのか
  2. その質問をするねらい。回答を得て、その後どうしたいのか


これを事前に自分自身の中で行って自分に向き合っておく作業をするのとしないのとでは、質問という行為の意味が大きく変わります。自分がどうしたいのかを知る方法に近づいていくことができます。

「したいこと」「やりたいこと」というのは、実はそんなに簡単に定まるものではなくて、実はわたしの世代になっても定まっていない人がいっぱいいるんです。でも若い人のほうが「やりたいことがみつからない」と思ったりすることが多いとされています。実はそんなことはないんです。

人に質問する前に自分への問いを立てる癖をつけることで、きっとやりたいことに早く近づけます。

 

----

上記の話は10代の参加者がいたので話しました。漠然と自分の存在を印象づけたい、爪痕を残したい、知識や熱心さを示したいという我欲から起こる質問で自爆し残念な思い出になるようなことがないよう、意識のガードレールを設置したのでした。
「質問」という形式に便乗した自己表現で失敗をしたことがある大人は、それをなかったことにしようとする論理の苦しさを知る過程で多くのことを学びます。他者に与えられた機会を利用して場を支配しようとする行為のあさましさを恥じたことのある人にしかわからない学びの階梯もあります。


わたしがインドで受けた授業では毎日問答を繰り返していました。質問によっては「それは重要な質問ではない」の一言でスルーされることが何度もありました。逆に「それは重要な問いだ」とされた質問がその日の授業の主軸になることもありました。だんだん慣れていきましたが、日本人同士でこのようなやり方はむずかしいだろうとも思いました。

そんな背景もあり、日本の教育(授業)スタイルでずっとやってきた人に少しでもサンカルパを立てること、ヴィカルパをサンカルパにする意識のはたらきについて伝えたくてこんな話をしました。