まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想(インドの視点)をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、サーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

How ではじまる問いの中にいましょう。Why を先頭に置けば質問になるわけではありません

2020年の6月から、8年ぶりにシャルマ先生の授業をオンラインで受けています。

その内容のなかに、これを初日から言うところがすばらいと思うお話がありました。
人生の問題について、「なぜ悪い…」というふうに、「なぜ」「なぜ」「なぜ」と問うていくとエンドレスです、という話。

why, why, why…, には logic, logic, logic, の回答が対になる、これが哲学の罠だ。

人生の問題について理由を探しをして解決するだろうか? どこにもたどり着かない。ぐるぐる回るだけだ。

というお話を何度か、いろんな話しかたで説いてくれました。

 

この罠について、先生はこのように言い換えます。

why = everything

Why と言えば質問になるわけじゃない。How の問いの中にいましょう。

ヨーガの哲学の授業は基本的にダルマとカルマを学ぶことがベースになっているので、このメッセージはその後の展開と紐づいています。
Why ではじめる質問は、自分の人生の主体であろうとする意識がなくても立てられる問い。これを使ってそれがさも人生の質問のように問うことの無責任さについて目覚めさせるようとされている。この学びは、目覚めを目指しているものであるはずだよね? と、直接的ではない言い方をされる。

ヨーガを含めてインドで生まれた考え方はフィロソフィ(哲学)でなくダルシャン(視点)なので、まずこの点について履き違えないでほしいということを、先生はやさしく伝えてくれます。


「なんでこうなのか、知っていますか? こうだからですよ」と勝手に問いを設定してくれて持論を話す、世間にはこの構図があふれています。先生も何度か事例を話すときに「Instagramにもよくこんなメッセージ(広告)が流れてくるよね」と実例フレーズを織り交ぜていました。
この日の先生のお話は、問いを立てる主体について認識させる土台作りをされていたように思います。