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まろやかインド哲学

専門性よりも親しみやすさを優先し、インド思想をまろやかな日本語で分解演習します。座学クラスの演習共有のほか、インド六派哲学のサーンキヤとヨーガの教典についてコメントしながら綴ります。

偏在するプラクリティとの結びつきでリンガがあらわれる

サーンキヤ・カーリカー 第42節・その注釈で述べられていること

微細な身体(リンガ)は、プルシャの目的を理由に、原因と結果が結びつくことによって、さまざまな形であらわれます。
プラクリティ(そのあらわれのなかに潜在的に存在している物質的原因)はその偏在性から、他と結びつきやすいものです。それは、まるで役者がその役を演じるかのように結びつきます。


<「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>
微細な身体(リンガ)が、功徳や罪過を乗せる媒体であることを説明する節です。
「原因と結果が結びつくこと」は、第44節でその功徳と罪過について、第63節でプラクリティのもつ7つの姿(様体)として説明されます。

 

<日本語化の意図メモ>
リンガが功徳や罪過を乗せる媒体であることを説明する節なのですが、プラクリティの偏在性について触れつつプルシャの目的にも触れなければならず、積荷が多すぎる節です。
「プルシャの目的を理由に」は、サンスクリット語を分解すると「プルシャに対して適切であることを成しえるために」という構成で、かなり物質的な感じがしますが、第31~33節の流れを汲んで「プルシャの目的のために」としました。
「原因と結果が結びつくことによって」の「原因」の箇所は、多くの学者さんの訳が「動力因」となっています。これは、プラクリティのもつ姿のありかたが、輪廻の動力因になるものとほぼ同じであるためです。


<用語メモ>

プルシャ(purusa)
しかるべく、適切な、啓発された、開花された(rtha)
を原因として、が理由で、原因により、理由により(hetukam)
これ(idam)
のために、が理由で(nimitta) 
結果、偶然の、偶発の、付属的な、無頓着な、気まぐれな(naimittika)
付随的に、偶発的に、ついでに(prasangena)
結びつく、結合する(sangena,yogan)
プラクリティは(prakrter)
偏在性、どこにもいる、どこにもある、すべてを含む(vibhutva)
ダンサー、俳優(nata)
ダンサー、俳優がそうあるように(natavad)
そのように設定されている、役割をもって現われる、~から別れて、違う存在で(vyavastisthate)
ある、存在する、待つ、滞在する(tista,tistate)
リンガ、微細な身体(linga)

※nimitta-karana についてサーンキヤ・カーリカーでは説明がないが、ニヤーヤヴァイシェーシカでは動力因を語ることが定番なので、適切な節を選んでいつか補記する。

 

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