サーンキヤ・カーリカー 第31節・その注釈で述べられていること 道具である器官は、それぞれが刺激を得て、それぞれのはたらきをします。この道具を動かす原因になりえるのは、プルシャの目的だけです。道具である器官がほかの何者かにはたらかされることは…
サーンキヤ・カーリカー 第30節・その注釈で述べられていること 4つ(ブッディ・アハンカーラ・マナス・知覚行為器官のどれかひとつ)は、見えるものに対して、同時または順次にはたらきます。同じように、見えないものに対しては、3つ(ブッディ・アハンカ…
サーンキヤ・カーリカー 第29節・その注釈で述べられていること 3つ(ブッディ・アハンカーラ・マナス)は、独自の特質をもつことが、そのはたらきです。(10の器官のはたらきとは)共通しないものです。プラーナなどの5つの風は、(すべての器官に)共通の…
サーンキヤ・カーリカー 第28節・その注釈 で述べられていること 形やその他の5つの知覚器官のはたらきは、ただ知覚をするだけのものです。 話すこと・手で取ること・歩くこと・排泄すること・性のよろこびが、5つの行為器官のはたらきです。 <「サーンキャ…
サーンキヤ・カーリカー 第27節・その注釈で述べられていること (知覚器官・行為器官の)両方の性質をもっているのがマナスです。なにかを分別したり確定したりします。(知覚器官・行為器官を同様のことを備えているので)器官です。 グナの展開・転変(展…
サーンキヤ・カーリカー 第26節・その注釈 で述べられていること ブッディ・インドリヤ(知覚器官)は、目・耳・鼻・舌・皮膚として知られ、発声器官・手・足・排泄器官・生殖器官は、カルマ・インドリヤ(行為器官)と呼ばれます。 <「サーンキャ・カーリ…
サーンキヤ・カーリカー 第25節・その注釈で述べられていること サットヴァの豊富な11(の感覚器官)は、(サットヴァが豊富な状態に)変化したアハンカーラから発現します。 元素から微細な要素が発現します。それはタマス質のものです。タイジャサ(炎のよ…
この節は東京で2名のかたが選定されました。 この節は前後の節とあわせて、3節にわたって「神的な者は、こういう性質であるべきだ」という事項が TO DOリストのようにリストアップされます。 <田中嫺玉さんの訳> 至上者(バガヴァーン)語る無恐怖 清らか…
サーンキヤ・カーリカー 第24節・その注釈 で述べられていること 知覚したものを自己に関連づけるのが「アハンカーラ」です。そこから2種類の創造がなされます。 「11の数ある一群」と「5つの微細な要素」です。 <「サーンキャ・カーリカー」内でのこの節>…
サーンキヤ・カーリカー 第23節・その注釈で述べられていること 「ブッディ」は、「決める」というこころのはたらきをします。 「功徳」「知識」「離欲」「力の使い方をコントロールすること」ができるのは、サットヴァが豊富な状態のあらわれです。 タマス…
「経験の領域。視覚と意識」というエントリーにも書きましたが、わたしにサーンキヤ哲学を教えてくれたシャルマ先生の言葉の中で everytime new experience というのが好きです。先日、サーンキヤ・カーリカーの第17節を読み、自分なりに咀嚼しながらまた思…
サーンキヤ・カーリカー 第22節・その注釈で述べられていること プラクリティから「マハー(大なるもの)」が展開します。 マハーから「アハンカーラ(自我意識、I-ness)」が展開します。 アハンカーラから、16のものから構成されるグループが展開します。 …
サーンキヤ・カーリカー 第21節・その注釈で述べられていること プルシャは「見る」ことのために、根本原質としてのプラクリティは、プルシャが「独存する」ことを成し遂げるために結合します。 盲人が足の不自由な人を背負って目的地へたどり着こうとするよ…
サーンキヤ・カーリカー 第20節・その注釈で述べられていること それによって、それらが結合したときには、まるで無感覚な微細体(リンガ)があたかも意識を備えているかのような状態になります。 また、グナが活動の主体であるのに、ニュートラルなもの(プ…
サーンキヤ・カーリカー 第19節・その注釈で述べられていること(この節は第11節「根本原質としてのプラクリティ」との対比の形で語られています) それゆえ、(第11節と)の反対の関係にあるため、プルシャが以下であることが立証されます。 独立分離してい…
哲学授業冒頭の雑談で、シャルマ先生がさらりと言ったひとこと。 将来の見込み、希望は秘めておくものだ。人に何をしているか(どんな練習をしているか)内情は話さないものだ。 11世紀以降に栄えたハタ・ヨーガの教典にはこのようなフレーズがよく出てきま…
サーンキヤ・カーリカー 第18節・その注釈で述べられていること (プルシャの存在の複数性は、以下により立証されると述べる) 固体の生死、器官が個体それぞれに定められているから。同時に活動をしないことがあるから。(=バラバラで活動することがあるか…
サーンキヤ・カーリカー 第17節・その注釈で述べられていること すべての集合体はなにかの目的のためにあります。トリグナとは逆のもの(トリグナによって構成されないもの)にコントロール権限があります。 プルシャは経験する主体としてそこに存在します。…
サーンキヤ・カーリカー 第16節・その注釈で述べられていること (「識別できないものであっても、いま展開していないだけで存在はしている」とみなされるべきだ。と主張する理由を詳述) 未展開のものは、原因として存在します。トリグナのはたらきによって…
サーンキヤ・カーリカー 第15節・その注釈で述べられていること (前の節で「識別できないものであっても、いま展開していないだけで存在はしている」とみなされるべきだ。と主張した理由として以下をリストアップする) 数や量は切られるから 関係性がある…
サーンキヤ・カーリカー 第14節・その注釈で述べられていること 識別できないものと、そのほかのものは立証されています。3つのグナによって構成されたる、その逆はないこと(=グナがなければ構成されない)によって。 結果は原因(グナ)の本質に帰するの…
サーンキヤ・カーリカー 第13節・その注釈で述べられていること サットヴァは軽快で、対象を照らす性質。ラジャスは要望し、活動を促し、落ち着かない性質。 タマスは重く、不明瞭な性質。これらは(3つの機能すべてが揃って)ロウソクのように、ひとつの目…
サーンキヤ・カーリカー 第12節・その注釈で述べられていること トリグナは快・不快・消沈を自然な性質として持ち合わせ、(トリグナそれぞれは)照らすこと・活性化させること・抑制することを目的としています。 トリグナは相互に支配し、よりどころとなり…
サーンキヤ・カーリカー 第11節・その注釈で述べられていること 展開済みであってもなくても、根本原質としてのプラクリティは、 3種の性質(トリグナ)によって成り立ち トリグナと分け隔てのないもので 標的・対象になりえるもので 一般的で 意識がなく 生…
サーンキヤ・カーリカー 第10節・その注釈で述べられていること (展開したものは) 原因を持っており 永続するものではなく 在る場所を限られ(偏在せず) 動き活動し 多種多様で 依存し いずれ元に戻るように消えてなくなり 部分を持ち なにかに従属・付随…
サーンキヤ・カーリカー 第9節・その注釈で述べられていること 実体のないところからは、なにも実行されません。結果のためには、それに見合う物質的原因が選ばれます。すべてのなかに、なにかが存在することはありません。 能力のあるものが、実行可能なも…
サーンキヤ・カーリカー 第8節・その注釈で述べられていること 微細なために、それは知覚されません。それが存在しないからではありません。結果を通じて、それは知覚されます。マハーなどの結果は、プラクリティとは異なるものであり、また似ているものでも…
サーンキヤ・カーリカー 第7節・その注釈で述べられていること (存在するものでも、このようなことにより認識されません) 遠すぎる 近い 感覚が機能していない 注意力が機能していない 微細 障害物がある 隠されている、制圧されている 似たものを混同し、…
サーンキヤ・カーリカー 第6節・その注釈で述べられていること 共通に見られているものからの推論によって、知覚器官による知覚を超えたものが認められます。それでも知覚されようのないものは、信頼に値する教えによって確立されます。 <「サーンキヤ・カ…
サーンキヤ・カーリカー 第5節・その注釈で述べられていること 「直接経験や知覚」は、知覚器官が対象を認識することです。「推論」は、3種類あるといわれています。それは、リンガとリンガのもとになるものによって先行されます。「信頼される人のことば」…